2018年04月29日

因果応報 前世・現世・来世の流れでみる縁起

因果応報 前世・現世・来世の流れでみる縁起


人生は四苦八苦と言われるように、霊的世界から見たらこの物質世界はかなり厳しい修行の場です。
生とは、生まれてくる苦しみです。
老とは、老いていく悲しみです。
病とは、病気等による肉体的な苦痛を伴う苦しみです。
死とは、未知なる世界に対しての恐怖です。
「愛別離苦」愛するものとわかれる苦しみです。
「怨憎会苦」嫌な人と会う苦しみです。
「求不得苦」求めても得られない苦しみです。
「五陰盛苦」肉体に基づく欲望を押さえることができない苦しみです。

以上が四苦八苦と呼ばれているもので、基本的に地上に生まれてくることに伴う、避けて通ることのできない絶対苦です。

四苦八苦以外にも仕事に対しての問題解決能力の不足が原因で悩み苦しみ、貧困で苦しみ、と数えればきりがないと思えるぐらいの苦しみがあります。
しかし、
「人間は、たとえ、亡くなる時点において、他の人から尊敬される立場に立っていなかったとしても、その思いと行いが正しいものであれば、あの世に帰ってからきちんとそれなりの判定がされる」
これが仏教における因果応報であると思います。

よく勘違いされるのは、私は宗教を信じ、神を信じているのに神様は私を助けてくれなかった、だから、私は宗教を信じないし神様も信じません」という人達です。

それに対する答えは、信仰者であっても困難苦難はあるかもしれません。
しかしそれは、「信仰の是非あるいは善悪」の結果として受け取らないで下さい。ということです。

実人生に何も困難苦難がなく、無事に過ごすことができれば幸福かといえばそうではありません。
霊的観点からみて地上に生まれたにもかかわらず、何の試練もなく霊界に帰ることになれば、それは地上いるときと価値観が逆転して後悔することになるでしょう。


艱難辛苦は、魂を鍛えるために用意されている砥石ですから、しっかりと磨かなければなりません。


ドイツ観念論哲学のフィヒテは、以下のように述べています。
「人間が進歩発展するプロセスのなかには、霊的な力がはっきりと顕現していて、哲学者はそのような人間一人ひとりの内なる進歩発展の原動力の奥深くまで認識の眼を向け、魂の根源を認識の光で照らしださなければならない、それが哲学者の最も大事な課題なのだ。」

人間の精神が進歩発展する為には、自己に対しての霊的視点や、魂の根源にまで目を向けなければなりません。

地上的な観点だけで人生観を考察しますと、悪い人が得をして、まじめに生きている人が損をしているように見えなくもありません。

しかし、霊的世界を含めた人生観からすれば、原因に対応する結果は、必ず本人に跳ね返ってくることでしょう。

太陽の光が、善人悪人に関係なくすべての人に降り注ぐように、宇宙の法則あるいは霊的法則はすべての人に平等に働いています。

ですから、地上的な視点で原因・結果が成立していないと思えても、霊的世界を含めることで完全に縁起の理法が成立します。

宇宙をあらしめている力と人間をあらしめている力は同質なのでしょう。
宇宙の調和を乱す思いや行為は、必ず反作用が働きます。
宇宙にはバランスの法則が働いているからです。

宇宙を知るには、自分自身の内なる探究が必要であると思います。
太平洋の海水と一滴の水は、量的にいえば比較なりません。
しかし、海水も一滴の水も元素記号は同じという点で共通しています。
太平洋の海水(宇宙)を知ろうとすれば一滴の水(個人)を探求することで宇宙の秘密を知る手かがりがわかるかもしれません。






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posted by ガンちゃん at 20:39 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

宗教国家と民主主義の原点

宗教国家と民主主義の原点

日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎、土台にあるものは虚像であり、偽物です。

民主主義の基礎にあるべきものは、「神の心」「仏の心」であるはずです。
民主主義といえば、やはりギリシャを思いうかべますが、プラトン・ソクラテスや他のギリシャの哲学者の本を読むと、当時のギリシャ人は間違いなく神の存在を信じていたと確信します。

神の御心はどこにあるのか、人間として尊い生き方とはどのようなものなのか、当時のギリシャ人は神の御心とはどこにあるのかという探究心、神の正しさとは何かを求める精神的傾向性を持っていました。

神や仏という存在を否定した民主主義とは、どのようなものなのでしょうか。
唯物的な人たち、神や仏の存在を否定する人達でつくる民主主義は必ず衆愚制へとなっていくことでしょう。
あるいは、一部の独裁者によって惑わされる全体主義が始まるのではないかと思います。

日本の民主主義は物質的繁栄のみであって、その繁栄の基礎には心がありません。
精神性や理念が欠落して、形式だけの民主主義、形だけの人権になっています。

人権が尊いといわれる根拠は、人間の本質とは肉体にあるのではなく、肉体に宿りたる霊性、魂が仏の光を内包しているから尊いのです。
魂の核の部分には神仏と同じ性質である仏性が宿っています。


人間の尊さを、唯物論的に肉体のみに求めるのであれば、天地がひっくりかえる価値判断になります。

犯罪事件などで、殺された人より、殺した人の方を優遇しているのではないかと思うときがあります。死んだら終わりと考える価値観からですと、殺された人はすでに肉体が死滅したので終りなのだから、罪を犯したまだ生きている犯罪者をどうすればよいかだけを考えようとします。
価値観が全くおかしなことになり、被害者より加害者を優遇するということが法的に合法化されるのですから、唯物論とは恐ろしいものです。

マックスウィーバーという社会学者は『古代ユダヤ教』という本で、「民主主義の時代は宗教が繁栄する」と述べています。
一人一人が神の心、仏の心を求めて活動するときに、社会は繁栄するのです。
ですから真実の民主主義は、宗教と一致するのです。

日本の土台を築いた聖徳太子は、日本に仏教を取り入れ神道と融和しながらこの国を運営してきました。外側は日本神道、中身の部分、教学は仏教という形で助け合ってやってきたのに、明治以降は国家神道が中心となり、他の宗教は弾圧されました。

天皇を「現人神」にし、仏教に対しては『廃仏毀釈』と言って仏を廃し、お寺や仏像を打ち壊し始めたのです。
仏を軽んじたことが、霊的意味における第二次世界大戦敗戦の原因の一つであると考えます。

また、日本国憲法は「信教の自由」を認めながらも、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」と規定しています。
宗教と政治が隔絶されており、戦後、政教分離が正しい民主主義であると誤認されています。
結果的に宗教が悪者のように扱われ、受け取られる傾向が強まってしまいました。

政教分離の趣旨は、「人々を統制する道具として宗教を用いてはならない」ということです。
「統制する道具」として宗教を使ってはいけないということが、政教分離の意味であり、宗教は悪いものだから公的な場から締め出すとう解釈は間違っています。


真理を知った人たちはやはり言葉を武器として言うべきことはいい、宗教が尊敬される国家創りをめざして汗を流すことが大事であると思います。






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posted by ガンちゃん at 13:25 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする