2017年08月31日

本格的に宇宙人とコンタクト 善なる宇宙人と対等にわたりあえる精神性

本格的に宇宙人とコンタクト 善なる宇宙人と対等にわたりあえる精神性

主エル・カンターレならではの宇宙人リーディングについて考察してみます。

「宇宙人リーディング」で様々な宇宙人を脈絡なく出していくうちに、繋がりが出てきて、全体の関係図やストーリーができてきつつあると言われています。
「宇宙人リーディング」という手法は、今世の人生ドラマを上映するように、魂の出発点からの歴史を短縮して上映すると、まるで生きているかのように出てくる、という感じに近いそうです。

参考までに、シュタイナーもアカシャ年代記という著書の中で、アトランティス文明、レムリア文明、あるいは、男性・女性以外の第3の性(中性人間)について書かれていたと思います。
しかし、あまりにも超古代文明になると、現代文明で使われている言語では、翻訳が難しい場合もあり、高度な霊的認識力、説明能力がなければ、表現できないという内容を書かれていたと思います。
(記憶がうる覚えですが・・・・・)

宇宙の法以前に宗教的な教えに関しても、世界三大宗教といわれる仏教、キリスト教、イスラム教を融合し発展した法が説かれています。
ヘルメス・トリスメギストス(三倍偉大なヘルメス)の円環的時空間論について、神秘の法で説明されています。
ニュートンも底流にはヘルメス思想の影響をうけています。
また、ハーベイ(人体には血管があり、血液が人体を循環していることを発見)や、セルベトス(ヘルメス思想の円環的時間概念の影響を受けて肺循環説を唱える)といった科学者達にも影響されています。

トート・ヘルメス体制とも言われるヘルメス・トリスメギストスとは、ヘルメスとトスの力をあわせもった存在(魂の兄弟)ということです。

アトランティスのトスは、エジプトではトート神とよばれ、智慧・学問・技術・技芸の神とされています。
ヘルメスは、ギリシャで生まれたヘルメスのことです。
ギリシャのヘルメス思想とアトランティスのトスの思想が融合して、古代エジプトの思想が形成されました。

「時間とは、円環状、螺旋状になっていて、前に行ったり後ろに行ったりグルグル回っている」という言い方をしますが(螺旋状の時間の中での)位置を決めると、違う時間帯に出られる感じがすると述べられています。

総裁先生の場合は、過去・現在・未来は、『握一点・開無限』。
宇宙という無限に広がる世界も、握れば一点に凝縮して、目の前に現れる。
未来でも、時間と場所を設定し、そこに意識を集中したら、その未来の姿を描写することが可能な霊的能力。
こうした自空間を超えた悟りが『エル・カンターレの悟り』の特徴の一つならば、確かにブッタやキリストの教えを超えていると言われています。

プレアデス星人やベガ星人のルーツは、金星時代の文明ともつながっています。
金星のエル・ミオーレないしエル・カンターレは、その分身をプレアデスやベガ等、他の星にも下ろしたことがあるらしい。

宇宙で多様な文明が展開されている話を聞けば、それは未来文明の可能性をも意味しています。
地球の生命は、部分的には宇宙から来ているけども、地球で発生したか、変化して分かれたものもあるとのこと。
この意味で、ダーウィン的な進化論は、半分は合っていますが、半分は間違っています。
『旧約聖書』に書かれている人類創成は一部あたっているようですが、一部は宇宙から来ているようです。日本の神代の神話や「竹取物語」等でも、宇宙人らしき話があります。

プレアデスは美や愛、調和、発展を象徴しています。
ベガは、当会の秘教部分に当たる、神秘的な心の教えと関係があります。
「心の在り方を変えると周りの世界も変わっていく」という仏教的教えのルーツはベガにあるのかもしれません。

こうして宇宙で説かれている真理が、今、地球的な形に姿を変えた仏法真理として説かれています。

あとは、宇宙で正しく運営されている文明を取り込みながら、宇宙の中での善悪、宇宙的正義とは何か、を説くのが私の使命だと述べられていました。

私達は宇宙の法を学びながら驚いているばかりではなく、精神性も高めなければいけないと思います。
他の惑星からくる宇宙人は、科学的には地球より遥か先を行っていますが、精神性と科学技術がイコールで結ばれていない宇宙人もいます。

2500年前、あるいはそれ以前にも素晴らしい哲学者、宗教家、科学者、数学者が出現しています。
科学力だけで比較すれば、何千年も前の哲学者や宗教家がいた時代と比べて現代は格段に進歩しています。
しかし、人間の精神性における進歩、霊性の進化という観点で比較すれば、何千年も前の人達の方が優れていたかもしれません。

科学が進んだ宇宙人に対してその分野で遅れている地球文明ですが、精神性を高めることで対等に付き合えることは可能であると信じています。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピタゴラスやアルキメデス等、当時の科学力が現代より遅れているからといって、現代に生まれた自分の方が上だと思う愚か者はめったにいないでしょう。

ですから、精神性を高めることが、宇宙人と対等に付き合える一つの方法であると思えます。
そしてそれが、地球の霊的磁場を浄化し、悪なる宇宙人、悪霊・悪魔から私たちを守る力にもなるはずです。
精神性を高めるということは愛の思いを増幅することでもあると思います。
宇宙を支配している力は愛とよばれているものですから、地球人にも宇宙人にも共通する基盤は愛であると言えます。

危機の時代であると同時に、私たちは法の力によって魂を進化させるチャンスを与えられていると思えます。


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2017年08月27日

精神性が高まるほどすべてに対して「可哀そう」という気持ちになる 信仰と迷信

精神性が高まるほどすべてに対して「可哀そう」という気持ちになる 信仰と迷信

現代社会においては、可哀そうという言葉は、否定的にとられる傾向にあります。
相手に対して、可哀そうにと思う心は、見下した態度であると思われがちです。
あるいは上から目線で見ていると受け取られるかもしれません。

しかし、人は年齢を重ねるにつれて、何気ないことにフッと可哀そうという感情をいだくことがあると思います。
汚れた作業着を着たおじさんが、おいしそうに食事をしている風景に、理由がわからないまま「可哀そう」という気持ちがおきる
あるいは、小さい子供が何かを必死にやり遂げようとしている姿にフッと可哀そうという感情が起きたりします。

この感情は、相手を見下し、上から目線で見ているのとは、何かが違う感情です。

仏教では慈悲という言葉を使います。
慈悲とは、導きの愛とも言われることがあります。
伝統的には、抜苦与楽ともいわれます。
慈悲の悲は、抜苦に対応し相手の苦しみを取り除いてあげる(苦を抜く)という意味です。
慈悲の慈は、楽を与える(与楽)という意味です。

ですから慈悲とは、相手に刺さっている棘(苦しみ)を取り除き、楽(相手を喜ばせてあげる、楽にしてあげる、心を自由にしてあげる)を与えるという意味になるかと思います。

理由がわからないまま胸の内側から湧き上がってくる、可哀そうという気持ちも愛や慈悲に通じているかもしれません。

可哀そうという気持ちは、相手の苦しみを理解し自分のこととして思えるからです。
汚れた作業着を着ているおじさんにもきっと家族がいて、奥さんや子供を守る為に苦労しているのだろうと思えるからです。


信仰心とは、神仏を信じると同時に神の子人間の神性・仏性を信じることだと思います。
人間を唯物論的なとらえ方で見ると、統制をかけて一元管理しなければいけないという共産主義体制になってしまいます。

ゲーテは、「正しい信仰が玄関から出ていくと、迷信が裏口から入ってくる」と述べていたと思います。

目に見えない神仏を信じることと、目に見えないから神仏や霊界は迷信であるというのとでは意味がまるで違います。

神仏に対する信仰心が薄れていくのと反比例して、神仏の存在や霊界は迷信であるという考え方が支配的になってきました。

魂が肉体に宿っている状態とは、分厚いぬいぐるみをしながら生活しているのと同じです。
ぬいぐるみの穴を通して見る以外に、外界を知ることができません。

ぬいぐるみを脱ぎ捨てたときに初めて、美しい世界の本質を知ることができます。

神仏を信じ霊界を信じ、人間の本質が霊であるということを確信したとき、同じ時代に生きている同期生の苦しみが、悲しさをもって知ることができるのかもしれません。





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posted by ガンちゃん at 22:15 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする