2017年07月31日

神秘学から考察される経済学

神秘学から考察される経済学


アダム・スミスは、政府が介入しないで市場を自由放任にすることによって「神の見えざる手」が働くと説きました。
政府が介入しないで、競争が行われていれば価格が変動し、需要と供給のバランスが自動的に調整されるというものです。
シュタイナーも政府が経済に介入し、理論的な意見を出してくると適正な価格ではなくなり、生産と消費のバランスが崩れてくると述べています。
政治が勝手に規制を設けると、経済原則が崩れてくるという見解です。

理想的社会の在り方とはどのようなものでしょうか。

現代社会は、政治、経済、文化という三つから成り立っていると考えます。
例えば人間の頭部、胸部、腹部の役割や機能がそれぞれ違うように、そして、頭部、胸部、腹部のそれぞれが正常な機能を果たすことで、一つの肉体がバランスよく機能し健康を保てるのと同じように、政治、経済、文化がそれぞれの機能を発揮することで健全な社会が保たれるという考えです。

シュタイナーは、経済アソシエーションが経済を担当し、政府が政治を行い、文化コーポレーションが芸術、あるいは学芸を育成することを提案しています。

経済は経済の専門家や経験者が担当し、政治は経済的な利害関係のない政治家が担当した方が、機能的効率的に良いという見解だと思います。
政治家が経済の専門的経験者に口出しをしなければ、この三つ(政治、経済、文化)はバランスよく機能し、調和された社会が実現するという考えだと思います。


また、アダム・スミスは「価格は需要と供給によって決まる」としていますが、シュタイナーは、価格に概念はあてはまらないとして、生産者の供給は価格と需要の関係で決まり、消費者の需要は供給と価格の関係で決まるとしています。

経済活動は、経済の経験と専門知識を有する経済アソシエーションが判断を下し、政府に介入させないと述べたうえで、失業問題に対処し労働力の配分を考えるのも経済アソシエーションの役割だとしています。
ここに政府が介入してくると圧政になる危険性を訴えています。

マルクス主義は国家を経済組織にするものですが、経済組織を国家から解放する、自由にすることが大切であると述べたうえで、市場経済でもなく計画経済とも違う専門的経験者がそれぞれの分野(生産者や販売者の専門知識を有する経験者)が消費に見合う生産を具体的に取り決めた方が良いとしています。

資本主義は利己主義をもたらし、社会主義は人間の無知な理論から発しているとして、経済的判断を下すのは経済の専門知識と経験を有する人たちであり、専門家からなる組織を編制して判断を下していくことが全体の発展につながるという考えだと自分は理解しています。



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posted by ガンちゃん at 18:40 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正しい行為(正業)なのか間違った行為なのか問題提起しているのです。 話をすり替えないでください

正しい行為(正業)なのか間違った行為なのか問題提起しているのです。 話をすり替えないでください


ブログ村の上位を占めている方たちは、私が見る範囲では、すべて、自分の考えや体験談、感想など自分の考えで書き込んでいます。
それぞれの方の得意分野で、個性ある記事を書いています。
それを読めばこの人はこのように考えているのか、このような体験があるのか、こっち系統の話が好きなのだなということがわかります。

しかし、私が問題にしているブログは、そのブログ名からしてコピペです。
『危機に立つ日本』というブログ名は、主のご著書の題名です。

毎日2〜3記事をアップしているようですが、すべてコピペです。
1年365日、1日当たり3記事コピペしているとして年間どれだけ、他人の記事を無断でコピペしているかといいますと、

365×3=1095

1,095記事、他人の記事を勝手にコピペしていることになります。
それが正しいことがどうか、あなたに問うているのです。
自分の言葉でしっかりと答えてみたらどうですか!!!!!

清水冨美加さんを自分に引き寄せて、心ない批判も多いのでお気持ちはわかります、ではありません。
あなたと清水富美加さんでは、立ち位置が全然違います。
批判されている理由がまるで違うのに、清水富美加さんと御自身を同じ被害者であるかのような言い方はやめてください。

もし私の言うことがまちがっているのなら、どこが間違っているのかを自分の言葉で教えてください。
自分の言葉で反論してください。
いいですか・・・自分の言葉で
納得したら、私も謝罪します。

以下、レオのコメントをアップします。
コメント内容は、私の意見とほぼ同じなので、問題ないでしょう。

その1
以前、コメント管理についても記事を書いたけれど、

自分の記事だったら、反論を受けても、切り返せるんだよね。 ところが、借り物のコピペ記事だと、細かい突込みを入れられたら、ろくろく返事も出来ないだろうし、アンチに茶々を入れられても、切り返しすら出来やしないだろう。

コピペ依存で自分の意見が無い、という人は、そういう問題点もあるんだよねー。
反論するだけの認識が無いのなら、アンチのコメントを放任するなよ、放任するなら、きちんと切り返せよ、ブログのコメント欄もきちんと管理したまえ、と言わざるを得ないのでね。

長らく論争した四人組は、コメント欄でアンチ発言や悪口を垂れ流して、それを自由開放だとか抜かしていた愚か者たちなので、
悪の放任・助長は、悪への加担なのだという自覚すら無い連中だったからね。
アンチから突っ込まれたら、自分の見識でもって切り返したまえ。切り返すだけの見識が無いのなら、承認制にしてきちんと管理しろよ。
悪の暴言が垂れ流せる場にするんじゃないよ。それは悪に発言の場を与えている行為であって、自由でも何でもないんだよ。悪への加担、悪の助長です。

そう、指摘せざるを得ないのでね。
そもそも、自分で考えて書いた記事なら、記事内容への責任も持ちながら、コメント欄の管理も出来るので、それがブログをやる人間の基本姿勢であるべきではないか。

記事内容自体が、他人からの借り物ばかりで、自分の認識として確立した内容でないからこそ、突っ込まれても反論すら出来ないんだよ。
情けない話だが、そういう因果関係があるだろう。

ネット散策して、あ、いい記事だ、いい情報だ、コピペ、なんていう数分で済む作業しかしていないで出来てしまうコピペブログというのはね。要は、自分で考える時間を持っていない、ということですよ。
だから、そのコピペ内容そのものに対しても、深い理解なんて出来ていないでしょう。考えてないってことだ。考察する時間があったら、そんなにすぐにバカバカ、コピペなど出来ないからね。貼る以上は、その内容に関しての自分の理解も、きちんと持っていてしかるべきでしょう。
持たずに安易にコピペしてるだけの人は、ひじょうに浅い、浅い表面的な情報収集レベルでもって、情報宣伝している「つもり」になっているだけですよ。そう、オレは分析しているけれどもね。

自分で考える訓練をしていないと、来世、生まれ変わっても、他人の発言の後追いコピペしか出来なくなるよ。
誰かの意見を聴いて、あ、それ良い意見です、賛成します。

で、貴方の意見はどうなの?あなたの感想を聞かせてください。
と問われたときに、スピーチできますかね?
出来ないようなら、認識そのものが、ぜんぜん出来てないってことだから。
自分のありよう、ブログのスタイルを再検証する必要があると思うけどね。各人のブログスタンスなどといって誤魔化していい話ではない。
自己修行を踏まえた上での、宣伝・伝道への転化なのだという視点を問うているのだからね。


その2
あとは、コピペ連投を批判した人間のことを、悪魔呼ばわりして、自己の非を反省しない図々しさね。

軽々しく、人を悪魔呼ばわりしている時点で、自分がやっていることは天国側の行為だという甘えと慢心があるのが、丸わかりなので、
自分の意見も無い分際で、悪魔からの攻撃だとか、軽々しく言うんじゃないよ、と、該当ブログの人間には指摘しておこうか。

自分の意見も無いような状態で、批判をされるとすぐ、悪魔からの攻撃だなんて言っている幼稚な自己正当化の態度を取っていると、
本当に悪魔の霊的攻撃を受けた場合に、簡単にやられちゃうからね。その程度の自己認識と自惚れ、他者への傲慢さに甘んじていると、悪魔の唆しには勝てませんよ。自尊心のところをちょちょいと擽られたら、簡単に落とされるよ。そのへんの自覚もあるのかね?と問いたい気がするね。
信者であるからと言って正当化されるものではない、中身がなければ霊的には通用しない、悪との本気の戦いになった時には勝てないよ、そんな甘い自己像に酔っているようでは、甘いんだよね。


その3
コピペ転載に関しては、無断転載は違法行為であって、
だから、いくら良い内容の宣伝だといってもね。やっていい限度があると言わざるを得ないはずなんだよね。

すでに書いていることだけれども、たとえば釈さんが日刊ゲンダイや サンケイビズに記事投稿をしているでしょう。 しかしその記事はあくまでも、その投稿先のニュースサイトで全文を読むべきであって、それがルールなわけなんだよね。
だから、幸福実現党のホームページであってさえ、その記事は導入部分の一部転載紹介になっているわけで、党首の釈さん当人がいるからといっても、幸福実現党のホームページにまるごと転載は出来ないんですよ。社会常識としてね、そうなっているし、実現党ホームページ自体、そういう決まりはきちんと守っている。

なのに、この問題のブロガーは手当たり次第に、無断でよその記事を転載コピペして、自分のところで読めるようにしているだろう。
明らかに、自分のブログで読めますよ、といった、他人の褌で相撲を取って、自分のブログの人気に変えようとしている、もしくは、宣伝だといって、やってもいいことだと開き直っている節があるからね。
注意されたらやめるけれども、されないうちは暗黙の了解で、いいことを宣伝しているんだから、いいだろう、といった甘えがあるとしか思えない。

信者限定メールの内容を、勝手に速報とかいって無断転載しているのは、さらに言語道断であって、本来あれは、信者である証明として会員番号と実名申告しなければ、受信できない信者限定メール内容なわけでしょ。
それをこの人の独断で勝手に、誰もが見られるネット上に転載していいのかね。確かにそれは貴重な情報だ。だからこそ、そういう情報を速報としてあげれば、アクセスは増えるよね。しかし違反なんだよ。
そもそも、同じ演題の法話なり霊言に関して、公式ページでさえ、それだけの内容は公開していないのだ。登録した信者のみが見られるページにアクセスすれば、詳細内容を知ることが出来る仕組みになってはいるが、誰もが見られるオープンのページでは、信者メールで連絡されているほどの内容は書かれていないはずだよ。

このブロガーは、そうした点をまったく配慮もしないで、貴重な情報だからジャンジャン流してしまえといって、もう何年ものあいだ無断転載をしまくっている人物なのでね。問題ありありなんですよ。

しかも、そうして単なる伝書鳩のごとき転載情報流しだけをやっているだけで、この人自身、そうして新規登場の霊言の人物について、何らの知識も持っていないのが見え隠れしているからね。
清水幾太郎の新霊言です。ドストエフスキーの霊言です。岡潔の霊言です。本部発信の霊言情報を速報として丸ごとコピペするだけで、それ以外のことを、あなたは知識として持っているのかい?
清水幾太郎について、ドストエフスキーの小説について、岡潔の生前の発言について、なんの知識も持っていないで、ただ単に信者メールをコピペするだけの無教養。恥ずかしくないのか、と問いたくて仕方がない。

こういう信者ブログは、信者として恥ずかしい、個性を欠いた悪例だと、わたしは敢えてここに述べておこうと思います。
清水幾太郎さんは、著作の中で、読むだけでなく、自分で考えなさいと述べているんですよ。
その人の霊言紹介をするのなら、コピペばかりでなく、自分で考えて書く努力をしたまえよ。そうでなければ、失礼だろう先生に。と私なら考えるけどね。
大川宏洋さんの守護霊対談でも、アポロン神も宏洋さん当人も、伝書鳩会員ではダメなんだと述べていたはずでしょう。コピペ人間ではダメだということです。そういう注意点も、ちゃんと読み取って反省してもらいたいと、切に願うものです。
結果オーライで、ニーズがあるのだから、注意を受けないあいだは違法だろうが何だろうが構わないさ、と考える人は、考えが足りていないという自覚を持つべきですね。

以上


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posted by ガンちゃん at 02:09 | Comment(1) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする