2017年02月05日

地球の重力場と霊界 霊界がわからないのはエネルギーが不明なため

地球の重力場と霊界 霊界がわからないのはエネルギーが不明なため

霊界を考えるとき光(電磁波)と重力が、互い何か関係がありそうです。
電磁波(光)によって私たちの物質世界は構成されていると言えます。
一方、霊界を構成しているエネルギーは重力と関係があると考えられます。
エネルギー保存則によって、電磁波と重力波は交互に変換されているのではないでしょうか。

電気力と重力の公式をみると非常に良く似ています。電荷をq1、q2 質量をm1、m2とすれば以下の式になります。
電気力(クーロンの法則)  重力(万有引力の法則)

クーロン力と引力.bmp

電気力は電荷の積に比例し、重力は質量の積に比例し、電気力も重力も距離の二乗に反比例します。
ここまで似ていると電気も重力も根源的なエネルギーの現れ方の違いと考えたくなります。

重力は質量がある所に働いていますので、物質を構成している原子に重力発生の秘密があると仮定します。
一つの電子軌道にはパウリの排他律により、+1/2と−1/2の2個の電子が収容され、それぞれ180°離れた位置から同一方向に回転するので発生する電磁波の位相が180°ずれ、電磁波の山と谷が相殺されます。

これが原子から電磁波が発生していない理由の一つです。
エネルギー保存則があるので電磁波が消滅したわけでなく、他のエネルギーに変化したものと思われます。これが原子波(原子から発生すると言う意味)≅重力波であると考えます。原子から重力波を輻射した分、希薄になった原子空間に高次元(霊界)からエネルギーが流れこみます。電位差によって電子や原子核に流れ込むエネルギーの流れが万有引力であると推測します。波動性科学 参照

原子波.BMP

また素粒子の世界では、振動数にプランク定数をかけるとエネルギーが算出されます。

エネルギーとプランク定数.bmp

プランク定数×振動数=エネルギー
この式を書き換えますと、エネルギーを振動数で割ったものがプランク定数となります。
エネルギーを振動数で割っていますから、hは1振動(回転)のエネルギーとなります。

振動を円運動で表現しますと、円周上の一点から出発したものが、1周まわって再び出発点にもどってくる回転と同等になります。量子力学の考え方より

回転運動と振動数.jpg

霊的磁場のエネルギーが低状態に流れた時、渦(回転運動)が発生します。この渦が3次元的にはプランク定数(1振動=1回転)で、振動した回数をプランク定数でかけるとエネルギーが算出されます。
−の電荷を持つ電子は、霊的磁場から供給されるエネルギーで自転し公転していますので、電子のもつ遠心力と原子核の中の+の電荷を持つ陽子のクーロン力の釣り合う軌道を回っているのではないかと考えます。
また、電子は自転していますので電磁波を発生しますが、原子から電磁波は発生しません。
それは、上記で書きましたように、1つの軌道にある2個の電子から発生する電磁波が相殺されて、重力波(霊的エネルギーと同質)に変性したからだと考えます。

ですから放射するエネルギー(プランク定数1Hzの電圧)と原子に流れ込むエネルギー(万有引力)の数値は近似値です。

宇宙を構成する基本的エネルギーは電磁波であり、これが合成して重力波≒霊波をつくっていますので、宇宙は1種類のエネルギーで構成されていると考えてよいと思います。
宇宙を含むすべてのものに、調和と秩序があるのはそのためです。

重力場こそ霊的世界を構成している磁場です。
霊魂は重力と同等ですので、どのような遮蔽物でも通過し、空間移動も瞬時です。
重力波ですから、念(周波数)に応じた霊的物質を瞬時に構成できる。
波動性により、周波数の違いによって同一時刻に、同一空間を共有することができます。
(地獄界と天上界が同一空間を共有して存在していますのが、周波数が違うのでお互いに干渉しません。ですから同時存在が可能です。)

霊界が確認できないのは霊的エネルギーが不明であるからです。


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posted by ガンちゃん at 02:11 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月29日

宗教的自由の道 自由を意図的に間違って解釈するのが悪魔

宗教的自由の道 自由を意図的に間違って解釈するのが悪魔

精神的自由、内面の自由を確保するには、まずは、経済的自由を守る必要があります。
つまり、税金で財産権などを侵害してはいけないということです。
お金がなければ、自由を保障します、といわれましても浮浪者の自由しかなく、何もできません。


個人の自由及び他の人の自由を確保するには、必要最低限の規則、法律は必要でしょう。
一定のルールの範囲内であれば、個人の自由を保障する。
自分一人だけの自由であれば、法律など必要ないかもしれませんが、他の人の自由を侵害しないという意味で一定のルール規則は必要であると思います。

真実の自由とは、自分自身の主体的意志にもとづいて行動し、その結果に対しては責任をとるという態度だと考えます。
この責任という点を外した自由は、自己中心的な自由で、本来、人間に自由を与えられた神の目的と反すると考えます。

自由といっても各個人にあてはめて考えますと、認識(智慧)の広がりや、深さ、高さによって自由が条件づけられているものと思います。
本当の自由とは外部の条件や他の人によって規制されることなく、自分の意志によって考え行動することです。

しかし、人は知っている範囲内であれば、考え行動することも可能ですが、知らないことに関しては、「ない」のと一緒であるといえます。
霊的世界は現実に存在しますが、肉体に基づく感覚器官(五感)では、かすらないのでわからない、わからないということは「ない」というように一般の人は考えます。

この自由意志を、どの方向に使うかによって、人間は成長し天使になる可能性もありますが、また、堕落して地獄霊や悪魔になるという可能性もあります。

仏から自由意志を与えられているということが、因果関係や縁起の理法が成り立つための根拠であり、自由な行為に基づいて現れた結果に対しては、自己の責任が発生します。

カントは言います。「おまえの根本命題がすべての人に当てはまるように行動せよ」。

しかし、この考えは個人の意志、行為を殺してしまいます。
大事なのはすべての人に当てはまるような行動ではなく、個々の状況に合わせて、何をなすべきかが問題なのだとシュタイナーは述べています。

個々人の場合、状況にあわせて道徳原則を引き出せない人は、個的な意志に基づいて行為しているとはいえません。


宗教的自由を考えた場合、「根本命題がすべての人にあてはまる行動をせよ」では何かが欠けているように思います。
やはり、宗教的自由に基づく行為とは、仏の眼から見て正しいのかという判断基準があると考えます。
一般的社会における、すべての人にあてはまる行為とは、常識や良識がともなう行為ということになるでしょう。
しかし一般社会的価値観が狂っている場合もあるので、多くの人が常識として考えていることに右ならえというわけにもいかない場合もあると思います。
やはり、仏から見た正しい価値基準(仏法真理)に照らした行為であるべきです。

しかし、ある程度の自己確立ができていない人に対しては、強制的に戒律や法律を適用してもいいのではないかと思います。

更に宗教的な自由を考えるならば「私は、私の行為を通して実現しようとしている対象への愛と結びついている」という思いや姿勢が大事なのであると思います。

道徳規則に記載されているというだけで行動している人は、主体的な意志に基づいて行動しているとは言えず、ただの執行人にすぎない、と厳しいことをいわれる方もいます。

この行為は良いことだから行う、この行為は悪いから行わないというように悟性的(観念論的な意味での悟性、幸福の科学では理性に対応関係)判断をしてから行動するのではなく、私が行動するのは愛に基づいてである、というのが宗教的自由に基づく行為であると考えます。

それゆえに単なる義務の概念は、自由を排除するといえます。
なぜなら、個々の在り方を肯定しようというのではなく、一般的な規範に当てはめてしまうからです。


自由の問題として、悪魔と言われる狂暴霊も意図的に自由を間違って解釈し、一般の人々の判断を間違った方向に誘導しようとします。

自由であるから何をしてもかまわないという方向に誘惑していきます。
縁起の理法によって具現化した結果に対しての責任の部分を蔑ろにします。
つまり、他人に迷惑がかかっても自分勝手な自由を優先して行動するようになるのです。

そして、悪魔の自由を体現している人の特徴は、決して自分は悪いことをしたとは思わないということです。むしろ、自分は被害者であると考えます。
通常は、多くの人から批判をされた場合、自分の考えや判断、言動や行動に問題があるのではないかと考えます。これはまともな人の判断と言えるでしょう。

しかし、悪魔と仲良しになると、決して自分を振り返るということはせずに、周囲の人や批判する人が悪いと考えます。
責任はすべて自分以外の他人と考えるようになります。

ですから、自由を叫ぶ人が正しいのか間違っているのかを判断するには、責任の部分を省いていないかどうか、あるいは、その人自身が自己中心的な人物なのかどうかという観点から見ることも大切であると思います。





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posted by ガンちゃん at 02:12 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする