2017年02月19日

未来科学のあるべき方向性

未来科学のあるべき方向性

現代の物質科学とは、唯物論的欲望の科学であるといえるかもしれません。
ですが、現代の科学的な成果及び発展を否定するつもりはありません。科学の発展のおかげで、便利になり時間の短縮化、効率化がすすみ、あるいは大宇宙の構造やミクロの世界に対しての見識が広がったことにより、人間はある意味で、過去の歴史にはなかった知識を身につけることができました。

しかし、その反面としてその知識が自惚れとなり、過去の偉人、哲学者、あるいは偉大な宗教家が説き続けてきた人生の意味、霊的な世界、偉大な光の天使達の存在を、証明することができない、確認できないという理由で、それをあざ笑い冷笑してきました。
宇宙にはバランスの法則(作用・反作用の法則)があります。神仏を否定する考えは必ず反作用として自分に帰ってくるでしょう。
そして、人間には超えてはいけない一線があると思います。神仏を軽んじること、光の天使達を迫害することが、それにあたるでしょう。

神仏の科学(霊界科学)とはどのようなものなのでしょうか。それは生命エネルギーであり、波動的エネルギーであり、重力波と関係があるのではないかと自分は考えています。

超弦理論には数学的な一つの理論的予測として『影の世界』があるといいます。これがダークマタ―と呼ばれるものなのかどうかわかりませんが、重力を通して相互作用する世界があると予言します。
ダークマタ―とは、暗黒物質ともいわれ、銀河系や銀河の間に大量に存在すると考えられていますが、光や電波、X線などでは全く見ることができない物質と言われています。

超弦理論とは、だいたい以下のような内容です。
素粒子の基本相互作用を1つの根源的な力に統一することを目的として、最も基本的な実在を1次元的な広がりをもつ、ひも(超ひも)であるとして展開される理論です。
相互作用を媒介する粒子を以下にまとめます。

ボーズ粒子 一覧表.bmp

重力の相互作用を仲介するのは、グラビトン(重力子)とよびます。重力は他の力と違ってケタ違いに小さく、とても観測にかかる素粒子ではないと言われています。(以前、一次元(線分)からみた三次元(高さ)は小さすぎて観測にかからないと説明したことがあります。あるいは、線に見えても解析度をあげると3次元になります)

物質構成の粒子をフェルミオン、力のなかだちをする粒子をボーズ粒子と言います。
フェルミ粒子とは、スピン1/2の電子や陽子、中性子などの素粒子をいいます。
物質の構成要素とされているのがフェルミ粒子(スピン半整数粒子)であり、それらの相互作用を媒介するのがボーズ粒子(スピン整数粒子)といわれています。

このフェルミオンとボーズ粒子を、超対称変換して(フェルミをボーズにボーズをフェルミに入れかえる)対称粒子というものを考えます。

クォークを超対称変換したとき、その対称粒子をSクォークといい、レプトン(軽粒子)を超対称変換すると、その対象粒子をSレプトンと呼びます。

これら通常粒子に対してのパートナー粒子(超対称性粒子)が存在すれば自然界は、左右公平であるということです。この対称粒子をスージー粒子と言います。
※レプトンとクォークの間にゲージ対称性を要求すれば、それらの粒子は区別がなくなって、一つの根源的な粒子に置き換えられる。区別の生じるのは、対称性の自発的な破れによるものである。

スージー粒子と通常の粒子は重力を通してのみ、相互作用を持つといわれています。(いろんな研究から超対称性が時空に関係していることがわかっています)
これが超弦理論から導き出された一つの結論です。重力相互作用は電磁相互作用と比べてはるかに弱いので、スージー粒子(超対称性粒子)を発見する可能性はきわめて小さいと考えられます。そのために、自分の身のまわりにありながら、気がつかないだけかもしれません。
スージー粒子でつくられている機構を影の世界と呼ぶことがあります。
影の世界を構成しているのは、SクォークやSレプトンといった超対称性粒子ですから、この世の世界と同じような世界が展開している可能性があります。

このスージー粒子で構成された世界が、霊界といわれている世界と何らかの関係があると自分は考えています。
つまり地球の重力場こそが霊界を構成している足場なのではないかと私は考えています。
地球の重力場という限定付きなので、4次元から8次元までが地球の重力場を基礎として構成されているのではないかと想像しています。
人間の念いといわれるものも重力波ではないかと考えます。

重力波とは、一般相対性理論によりますと、万有引力に基づく重力場の変化が波動として伝わることが考えられ、これを重力波とよびます。
重力を通して、この世と霊界はお互いに影響をしていると思えます。

重力場とは、物体に重力が作用する空間をいいます。地球上の物体は地球からの重力をうけるので、地球の周囲は重力場であって、重力加速度Gを一定とみなすことができる範囲内では、一様な重力場があるといいます。
人間の念が重力波ではないかと定義しましたが、波動である以上、周波数があるはずなので、超対称性粒子で構成されている影の世界と、周波数が共振すれば、お互いに影響しあう関係になるかもしれません。波長同通の法則です。

これからの科学は霊界を否定する唯物論的な科学ではなく、神仏の存在を肯定し、霊界の存在を証明し霊界の法則を、この地上に具現化する科学こそ未来科学のあるべき方向性ではないかと思います。

スェーデンボルグは、「霊界、霊のことを世の人に知らしむべし、それ以外に世を救う途なし」と言われていたと思いますが、霊界を信じ、神仏の慈悲を信じることで、その思いが結集することで世界は変わると信じています。



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posted by ガンちゃん at 01:22 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

大量コピペは記事を書く人のやる気を失わせる社会主義化

大量コピペは記事を書く人のやる気を失わせる社会主義化

正しい考え方なのか間違った考え方なのか、判断は人それぞれだと思いますが、自分はこのように考えますという一つの意見です。

知識を取得し自分の頭で考えをまとめて記事にするには、一定量の知識の蓄積が必要です。
つまり、一つのテーマで記事を書くにしても、時間と忍耐と自助努力が必要であると言えます。

少しでも人のためになる記事を書こうというのであれば、間違ったことを書けませんから、なおさら時間と能力を必要とします。

ところが、コピペはどうでしょうか

ほとんど努力しなくとも一つの記事として掲載できます。
ブログ村のシステムも完ぺきではありませんから、一生懸命努力して考えて書きあげた記事もコピペも一記事として表示されます。

努力して書いた記事もコピペも同じ扱いであるならば、社会主義と変わらないと思います。

コピペ自体を否定しているわけではありませんが、ほとんど100%コピペは問題があります。
必要な情報、大切な情報もありますから、全面的にコピペを否定しているわけではありません。

もし、コピペだけの情報が必要でありニーズがあるという考えを押し広げた場合、どのようになるのでしょうか。

幸福の科学のブログ村に、コピペが得意な人、一人いればよいということになると思います。
違うでしょうか?

仏は、いろんな個性を持った人たちが、自分のできる範囲で努力している姿を「よし」としていると思います。

感性的な記事を書く人、哲学的な記事を書く人、宗教的な記事を書く人、詩的に書く人、政治経済を自分の視点で書く人、いろんな記事がありますが、どの記事が素晴らしくて、どの記事が劣っているということではないのです。

それぞれは自分の思ったこと考えたことを自分なりに表現することが素晴らしいことなのだと思います。
それがまた、ある意味で修行にもなっていると思います。

大量なコピペ記事によって、個人の記事が埋もれてしまい、結局、簡単に情報を提供できるコピペが上位を占めることになります。

これでは、真面目に記事を書いている人のやる気を失わせることになるのではないでしょうか。

やはり、自分で書いた記事を喜んでもらい、感謝してもらえれば、正直にうれしいものです。
大量コピペは、そのような機会を奪っているところが少なからずあると思います。

このように書くと、私自身が嫉妬しているとか、悪魔にやられていると思われるかもしれないと承知の上で書いています。

ご本人は、コピペ批判されると、相手を悪魔呼ばわりするところが見受けられます。
これは、救国のKと同じ論法です。
必然的に自分が天使側の人間で、批判する側は、悪魔と考えているのでしょう。

コピペを分類するとするならば、他力でしょうか、自力でしょうか?
そもそも幸福の科学の教えとは、どのようなものなのでしょうか。

努力して素晴らしい記事を書こうとする人と、素晴らしい記事をコピペして自分のブログに貼りつけて済ます人とどちらが正しいのでしょうか。

善悪を曖昧に考える人、有耶無耶にする人は、コピペぐらいでそこまで言う必要がないと考えるかもしれませんが、100%コピペが正しいか間違っているかと言えば、間違っていると自分は考えています。

コピペ自体を批判しているのではなく、100%コピペを批判しているのです。

正しい記事が広がるならばいいではないかという考え方もあるかと思いますが、目的が正しくとも手段の正当性に問題があると考えます。

現時点での私の考えです。



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posted by ガンちゃん at 23:00 | Comment(4) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする