Kのブログさんに対しての返答です。
私の書いた「自称宇宙人さんへ」を自分で読み返してみても、当事者を傷つける内容は一言も書いていません。
ご本人が「私はどこそこの宇宙人で」という内容の記事を頻繁に書かれていたので、私のその記事の内容を信じ、受け入れたうえで、ご本人が他の星にいらしたのであれば、その星について教えて下さいとお願いしただけです。
上記の理由により、私の記事が当事者さんを揶揄したという反論は、Kさんの勝手な思い込みです。
私も宗教を信じ、仏や神を信じる一信者として、決して悪意から人を傷つけるような記事を意図的に書くことなどありえません。
Kさんは、公序良俗の範囲であれば言論は自由であると主張しています。(話をすりかえているわけではありません)
であるにもかかわらず、当事者の弁護人の立場に立って、こちら側の記事がまるで悪意に満ちており、批判は不当であるかのようなことを言っています。
批判する自由を主張しておきながら、批判でもない記事に対して、悪意ある記事かのように言われるのであれば、いくらおとなしい私でも反論せずにはおれません。
確認したいのですが、当事者さんがブログ村を去った理由は、まちがいなく「自称宇宙人さんへ」という私の記事が原因なのでしょうね。本人に確認したのでしょうか。もしちがう原因でブログ村を去ったのであれば、あなたの意見は全くの見当違いであり、私に対して全くの根拠がない批判をぶつけてきたことになります。
ですので、本人に確認したのかどうか返答ください。
もし確認しておらず、Kさん自身の勝手な思い込みから記事を書かれたのであれば、あなたこそ不当な批判で、私自身を傷つけたことになります。
しかし、私の記事で当事者さんを少しでも傷つけたのであれば、それは素直に反省いたします。
ですので、ブログ村を去った理由がご本人に確認したうえで、私の記事が原因なのかどうか返答くださいね。
ちなみに、私の記事を読んだ後に確認しないで下さいね。
それだと、東京裁判のように事後法と同じで、ルール違反ですから。
ついでに話が変わりますが、Kさんのブログを参考に神秘の時代について考えてみたいのと、気になる点を上げてみます。
私自身、性格的に気になる点を自分自身、納得するまで解決しないと夜眠れなくなる性格ですので。
一番驚いた内容は以下に書かれていた文です。
「主の呼び方をエル・カンターレと言おうが、大川隆法と言おうが、幸福の科学総裁と言おうが、些末的な問題でこれこそ、そのときの気分ですと言いようがありません。」
主の呼び方が、些末的な問題で気分によって言い方が変わるとは、びっくりして腰砕けになりました。
あなたは、渡部昇一氏と総裁先生とどちらの信仰をお持ちなのでしょうか?
次に、Kさんのブログにこのようなコメントが来ていました。
内容的には、ゲイ(同性愛者)は幸福の科学の立場でいえば、霊的に問題があり、真理の書籍にも「一種の社会病理現象、退廃の時代(末期的症状)だと書かれています。という内容のコメントが来ていたと思いますが、それに対してKさんの返答は、「今は、違う解釈になっているのではありませんか?」と回答されていましたが、いったいどの本の何ページにそのような、ゲイに対して違う解釈がされているのでしょうか。
法を勝手に解釈してよいのでしょうか。
次にこのようなことも書かれています。
「神秘の時代であるからこそ奇跡を否定する人は、頭が固いので柔軟にしてください。奇跡を信じない人は、それは、自分の能力を見て、人間の能力をこんなものだろうと計っているだけに過ぎないと言っておきます。」といわれています。
いくら神秘の時代であるがゆえに、なんでもかんでも奇跡をそのまま信じるべきいう考え方は、一見すると正しいように聞こえなくもありませんが、間違えを含んでいると思います。
奇跡の内容が、天上界からのものであるのか、下からの惑わしであるのかを判断するのは、合理的な思考と判断力だからです。
仏陀の思想は神秘性と合理性が融合された教えであるはずです。
奇跡に対しての善悪の価値判断は、合理的な思考が必要なので、すべての奇跡を何のフィルターもかけずに受け入れることは危険であると自分は考えます。
こう言うと、神秘性を否定しているように受け取られるかもしれませんが、私は両方必要で状況に合わせて使い分けるだけの認識力やこの世的な能力が必要であり、中道が大事であるといっているのです。
以上で議論はやめにします。
これからのKのブログを楽しみにしています。
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