2018年06月09日

国富を創造する政治家 経済成長は現状維持にはなく変化の中にあり

国富を創造する政治家 経済成長は現状維持にはなく変化の中にあり


主が降臨している日本という国が持つべき未来ビジョンとは「世界一にして世界最先端の経済社会の実現」ではないでしょうか。

本来、政治家は自国を世界一豊かにするというビジョンを持ち、国民の幸せの為に努力しなければなりません。

国家経営も企業経営も本質は同じだと思えます。
ドラッカーは、「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ。未来を予測しようとすると罠にはまる」と述べています。

明るい未来ビジョンを示してくれる政治家の姿勢こそ、今の日本には必要なのだと思います。
そうであってこそ、投資も活発化します。

もちろん政治家だけに頼ってもいけません。
他人に頼ってもいけません。

仏教では自灯明といわれています。(真理を拠り所として、他人に頼らず自ら光を灯す)

『創造の法』という経典があります。
創造の法を理解し享受することが出来たなら、私達は神の一部、全知全能の存在の一部になれるといわれています。(理解し享受できれば)

私達の潜在意識の力・働きは造物主と同じ力を有しているということでしょう。
私達は自らの意志の力によって、政治を創造し、経済を創造し、哲学を創造し、法を創造することができる可能性があるということです。


「増税推進派」の政治家、学者は総じてマイナス思考・悲観論に立っています。
「これ以上の経済成長は望めない。成長しても金利が上がり、借金が返せない、借金が膨らみ続ける等」としています。

増税推進派は、税金を取ることばかり考えているようですが、「経済成長」の視点が完全に欠けています。
経済成長して、GDPが伸びれば、税収は飛躍的に増大するはずです。


政治家、官僚共に「国富」を創造するという一点に、エネルギーを集中させた方がいい結果をだせるのではないでしょうか。
そして、民間に富が蓄積されてこそ、税収が増えるのです。

そのためには、今の日本の現状を分析し、計画的戦略を立てるべきだと思います。

パットン将軍は「やり手の将軍は状況に合わせて作戦を立てるが、作戦に合わせて状況をつくろうとはしない」と述べています。

外交、経済、等あらゆる状況を想定して、明日への備えをすることが大切であると思います。

経営学のピーター・ドラッカーは、戦略的に考える重要性を説いています。
「まさにわれわれは未来を予測できないという理由から、戦略の策定は必須である。・・・戦略は未来の決定ではなく、現在の決定によってもたらされる将来の出来事について考えることだ。決定は現在にしか存在しない。意思決定者は不確実な明日に備えるために、今日我々は何を為すべきかを戦略的に考える必要がある」と述べています。

また、あるイギリスの作家は「理想主義は、その人が問題からどれくらい離れたところにいるかに正比例して拡大する」と書いていますが、現実の問題から遠ざかっていては、解決の手立てを打つことができません。


人間は常に向上を目指す存在ではありますが、反対に平和や安定を求める存在でもあります。
しかし、変化を恐れすぎては(現状維持)、向上することができません。
「成長とは変化することである」と言った人もいます。
そして、変化とは現状を打破することだともいいます。
より大きな可能性を求めるなら、今の手の中にあるものに満足してはいけないのかもしれません。




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posted by ガンちゃん at 20:35 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

宗教国家と民主主義の原点

宗教国家と民主主義の原点

日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎、土台にあるものは虚像であり、偽物です。

民主主義の基礎にあるべきものは、「神の心」「仏の心」であるはずです。
民主主義といえば、やはりギリシャを思いうかべますが、プラトン・ソクラテスや他のギリシャの哲学者の本を読むと、当時のギリシャ人は間違いなく神の存在を信じていたと確信します。

神の御心はどこにあるのか、人間として尊い生き方とはどのようなものなのか、当時のギリシャ人は神の御心とはどこにあるのかという探究心、神の正しさとは何かを求める精神的傾向性を持っていました。

神や仏という存在を否定した民主主義とは、どのようなものなのでしょうか。
唯物的な人たち、神や仏の存在を否定する人達でつくる民主主義は必ず衆愚制へとなっていくことでしょう。
あるいは、一部の独裁者によって惑わされる全体主義が始まるのではないかと思います。

日本の民主主義は物質的繁栄のみであって、その繁栄の基礎には心がありません。
精神性や理念が欠落して、形式だけの民主主義、形だけの人権になっています。

人権が尊いといわれる根拠は、人間の本質とは肉体にあるのではなく、肉体に宿りたる霊性、魂が仏の光を内包しているから尊いのです。
魂の核の部分には神仏と同じ性質である仏性が宿っています。


人間の尊さを、唯物論的に肉体のみに求めるのであれば、天地がひっくりかえる価値判断になります。

犯罪事件などで、殺された人より、殺した人の方を優遇しているのではないかと思うときがあります。死んだら終わりと考える価値観からですと、殺された人はすでに肉体が死滅したので終りなのだから、罪を犯したまだ生きている犯罪者をどうすればよいかだけを考えようとします。
価値観が全くおかしなことになり、被害者より加害者を優遇するということが法的に合法化されるのですから、唯物論とは恐ろしいものです。

マックスウィーバーという社会学者は『古代ユダヤ教』という本で、「民主主義の時代は宗教が繁栄する」と述べています。
一人一人が神の心、仏の心を求めて活動するときに、社会は繁栄するのです。
ですから真実の民主主義は、宗教と一致するのです。

日本の土台を築いた聖徳太子は、日本に仏教を取り入れ神道と融和しながらこの国を運営してきました。外側は日本神道、中身の部分、教学は仏教という形で助け合ってやってきたのに、明治以降は国家神道が中心となり、他の宗教は弾圧されました。

天皇を「現人神」にし、仏教に対しては『廃仏毀釈』と言って仏を廃し、お寺や仏像を打ち壊し始めたのです。
仏を軽んじたことが、霊的意味における第二次世界大戦敗戦の原因の一つであると考えます。

また、日本国憲法は「信教の自由」を認めながらも、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」と規定しています。
宗教と政治が隔絶されており、戦後、政教分離が正しい民主主義であると誤認されています。
結果的に宗教が悪者のように扱われ、受け取られる傾向が強まってしまいました。

政教分離の趣旨は、「人々を統制する道具として宗教を用いてはならない」ということです。
「統制する道具」として宗教を使ってはいけないということが、政教分離の意味であり、宗教は悪いものだから公的な場から締め出すとう解釈は間違っています。


真理を知った人たちはやはり言葉を武器として言うべきことはいい、宗教が尊敬される国家創りをめざして汗を流すことが大事であると思います。






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posted by ガンちゃん at 13:25 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする