2014年01月08日

仏教学における中村元氏と渡辺照宏氏の境涯を分けた違いとは

仏教学における中村元氏と渡辺照宏氏の境涯を分けた違いとは

仏教学から観た「幸福の科学」分析を読んでの自分なりの教訓、学びについて書いてみます。
霊言がでる以前から2人の著書は、それぞれ何冊か読んでいました。
2人とも仏教学者として、自分にとって非常に参考になり勉強になったと思いますが、死後においての行き先に大きな差が出てしまいました。
この世的な評価や権威、名声がストレートに霊界においては通用しないということだと思います。
これは地上における価値判断基準と霊界のそれとは、ちがう物差しで測られるということを意味しているのでしょう。
以前、同じ川の水を飲んで、牛はミルクをつくり、蛇は毒をつくるという教えを学んだ記憶がありますが、同じ教えを学んでも人それぞれ理解の仕方が違うということでしょう。
同じ真理を学んでも理解の仕方によって、謙虚になる人もいれば、反対に真理を知っているという自惚れが自我を拡大させ、真理を学んでいない一般の人以上に傲慢になる人もいます。

2人の違いは時代の価値観に迎合して唯物的に仏教を解釈した人と、信仰心や仏陀の威神力を理解したうえで仏教を解釈した人の違いであったと理解しています。
信仰心がなく、知識のみで仏教に限らず学問をした場合、勉強すればするほどその知識が悪い意味でプライドとなり、素直な心から遠ざかってしまうのかもしれません。

余談ですが、公開霊言で地獄に落ちた人達を観察しますと一定の共通点、共通項を見いだすことができるのではないかと思います。地上的には一定の評価をされ名声や権威を得ていますが、その名声が霊界においては地上と違う価値判断がなされ、普通の地獄よりも深い無間地獄に落ちています。
そしてその発言も質問や状況によってコロコロとかわり、考え方に一貫性を見出せません。嘘をついても何の良心もとがめることなく、言葉づかいにおいても人を責める傾向を見受けることができます。
また、人には反省をしつこく求めるのに、自分自身は絶対に反省しないという矛盾もあります。
このような公開霊言を拝聴させていただきますと、私自身もどこまでできるかは別として、一生を通して謙虚になり、上記で書いた反対を目指して努力しなければいけないと反省させられます。

この世的な評価が霊界において通用しない場合があり、それは地上と霊界においての正しさにおける価値基準に違いがあると書きましたが、仏教では『断常の中道』という言葉で説明されることがあります。
不常不断の中道とはどのような意味に理解すれば良いかを「悟りの挑戦 下巻」を参照しますと、「常」とは、己自身の自我なるものが継続していくこと、人間の自我なるものは常住であるという考え方で、一方の「断」断絶とは、死んだ時点で自分の自我なるものは消えてなくなる、人間は死を境として自我なるものを失っていくという考え方です。
仏陀はこの両極端を否定した中道にこそ真実なる道があると説かれたと思います。
地上においては肉体の諸条件に制約された生き方や考え方をしますが、霊天上界に帰ることで、感覚器官による制約から解放され、自由自在な存在形態になります。肉体に基づく感覚器官の機能に依存した世界観から、そのような条件に制約をうけない本当の意味での自由自在な存在に移行するという教えが『断常の中道』の意味ではないかと自分は理解しています。人間の本質は変化していく存在であるという考え方が正しい認識であると理解します。
仏陀は、神秘性と合理性を融合した唯一無二の存在であると渡辺照宏氏は述べていましたが、合理性だけを追求し神秘的な部分をはぎ取っていけば真実なるものが観えてくるといえばそうではなく、仏教も単なる唯物論と変わらなくなってしまうでしょう。
逆に合理性を無視して、神秘的な部分だけを強調すれば、妄想や夢想家が排出されて、地上におけるまっとうな人生を生きることは難しくなるのかもしれません。

仏陀の威神力を肯定し、信仰心に基づいて教学は深く学びながら修行する姿勢が大切だと感じました。




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posted by ガンちゃん at 18:26 | Comment(0) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

「未来産業学」とは何か を読んで

「未来産業学」とは何か を読んで

未来に向けての科学が目指すべき方向は、神の創られた世界の探究であるならば、その理論や理論を裏づける数式は美しいものであるはずです。といった前提にたっての新しい物理・化学の研究であるはずです。
あるいは現在ただ今、研究が続いている分野よりは、未来文明の源流になるものの研究が、未来産業学のめざす方向なのかという印象を受けました。

その研究が実際に、この地上において有用な技術として昇華されなければ、人々の信頼を勝ち得るところまでいかないという点を指摘されていたと思います。
実際、信用されるためにも理論が実験結果と結べつける必要はあると思います。
現代の文明には無く、過去の大陸(アトランティス大陸・ムー大陸)にあったと言われている、ピラミットパワーや植物の発芽する時に発生するエネルギーの研究など、当時、実際に実用化されていたエネルギーだと思えるので、この二つのエネルギーの理論化と実験が、一つの可能性として有りそうな感じを自分は受けました。

未来産業の課題ということで、具体的に「食糧問題」「エネルギー問題」等をあげておりました。
植物の発芽エネルギーの理論化および実用化ができれば、食糧問題とエネルギー問題を同時に解決できるのではないかと思えます。

植物の成長を促進する、電磁波?を、照射することで短時間のうちに食糧の確保が可能であると思えるし、現在の電流のように、物を動かす力としてのエネルギーの確保にもつながると思えます。
また、ピラミットパワーの研究開発が進むことで、未来産業学の名に相応しい、新たな分野の開発が可能になり文明そのものを、押し上げる力になると私は思います。

また、物理の理論的な攻めも必要であるとして、「超弦理論」の話を取り上げています。
この超弦理論の予言として、確かに10次元という高次元が理論を説明するうえででてきます。
私達が観測できるのは、4次元時空までであり、4次元以降の6つの次元はコンパクト化されて観測にかからないという考え方です。
一般的に確認されない6次元が何の役に立つのかと思うかもしれませんが、実は目に見えない次元が、私達が存在する4次元時空に重要な役割をしています。
例えば電気の配線が何本か交差しているとします。これを遠くからみると線(1次元)に見えるはずです。しかし、近づいてみると、あるいは拡大してみると、横方向(2次元)に広がりを持ち、高さ(3次元)もあるはずです。もし3番目の方向に広がりを持たなければ、実際に配線は交差することができず、配線を通して電流を流すことができません。
1次元と言っても厳密にいえば、広がりと高さがあります。もし広がりと高さを持たなければ3次元空間を占めることがなくなって、目には見えないはずです。1次元にとって3次元はあまりにも小さすぎるので観測不可能ということです。
この考え方を6次元にあてはめて考えることで、隠された6次元の重要性と観測できない理由を推測できると思います。

また、理系だからと言って自分の分野だけを研究するだけでなく、一般教養の必要性を説かれていました。科学だけでなく、宗教、哲学、思想、文学、音楽といった直接関係ない分野と思われる領域にも手を広げておくことで、以外に、物理の理論を考えるにあたってのヒントになるのではないかと思います。

しかし、宗教を学ぶことが一番大事なことであり、宗教が教えている霊的世界にこそ、宇宙創造を解明する手掛かり、宇宙空間を移動するにあたって、光速を超えた速度をしるためのヒントがあり、未来を拓くための鍵があると思います。

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posted by ガンちゃん at 21:13 | Comment(0) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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