2014年01月18日

ネルソン・マンデラを読む

ネルソン・マンデラを読む

死後、数時間しかたっていないのに霊言として会話が成立するだけですごいことだと思います。また、光の天使といわれる方々の霊言を読みますと、やはり私は偉大さというものをそこに感じてしまいます。

第二次世界大戦についての質問に対して、日本が戦争に突入したことに関しても正義としての立場に立っていると正当に評価されています。
日本が第二次世界大戦に突入した理由は、以下の理由によって、苦渋の決断により開戦しました。
アメリカの保護貿易主義「ホーリー・スムート法」があります。
ホーリーもスムートも、自分の関連する企業の利益を大幅に上げるために、関税を高かくし、競争相手となる外国の製品をアメリカの市場から締めだそうとしたのです。
実質的にアメリカが自由貿易をやめて、ブロック経済に突入します。
2年後の1932年にイギリス及び植民地もブロック経済を行うことを決定しました。
これによって、その他の産業国家がダメージをおいます。

一方日本は、アメリカによる排斥運動、外交圧力をうけている同じころ、日本に迫る旧ソ連の脅威がありました。日本は日露戦争で日本軍が勝ったものの、極東から完全にロシアの脅威を駆逐していたわけではなかったので、依然として軍事的脅威がありました。そのロシアがソ連になります。
1922年モスクワ及びペテルブルクで開かれた第四回コミンテルン総会では、世界中から君主制を廃止する決議がなされ、各国の共産党に秘密裡に指令が出されています。
君主制の廃止とは、日本においては天皇をなくすということです。これが現在まで続いている元凶の一つです。
第四回コミンテルン総会とは、ロシア革命を世界に広げるために、ソ連共産党を中心に結成された、共産主義政党国際組織が「コミンテルン」共産主義インターナショナルでありました。第四回コミンテルン総会では、日本共産党が承認され、その綱領草案も作られたと言われています。渡部昇一氏参照

アメリカやシナでの反日運動、ブロック経済による不況、ソ連に対する軍事的あるいは、イデオロギー的恐怖、これらによって日本も危機感を抱くようになります。

更に、1941年11月26日、アメリカの国務長官コーデル・ハルは、これまでの日米交渉の経過を一切無視する「ハル・ノート」を突きつけてきました。
ハル・ノートとは、日本側が提出した対米交渉要領乙案に対する回答として、日・独・伊の三国同盟の事実上の破棄、蒋介石政府だけを日本が承認すること、さらにはシナやインドシナからの日本軍の即時無条件撤退という要求が示されていました。それまでの日米交渉の経過をまったく無視した回答で有りました。

かくて日本はハワイ真珠湾攻撃をかけることになりました。
左翼は、日本における戦争を侵略戦争であるとして、日本国民に罪悪感を持たせ、愛国心を失わせていく方向に教育をしてきましたが、正しい戦争認識は、アジア、アフリカの白人による植民地支配からの解放でした。
マンデラ氏は教育の重要性を指摘されていたと思いますが、高度な教育をうけることで間違った歴史認識に騙されないようになります。

左翼は自分達を知的存在と自己認識し、自国を愛するより朝鮮や中国を愛しているのでしょう。
例えば、自らを保守と名のりながら、本当は左翼ではないかと思える人もいます。中国や韓国と比較すると良く分かるのですが、相手の意見や話しは受け入れませんが、自己主張だけは異常に高いこと。
自分達は核兵器を持つが、相手に対しては武器を持たせないように批判すること。(自分の主張だけを強調し他の人の反論に対しては、受け付けないか悪魔呼ばわりする人間)。
他の人の注意をまったく認めようとせず、まったく媚びないし反省もしない人、また、自分の状況に合わせて話をコロコロ変える人、相手を批判しておきながら、そのやり方をまねる人等、あげればきりがありませんが、本人は保守のつもりでいるかもしれませんが、その実態は左翼である人もいます。

また、マンデラ氏は獄中で偉大なる光の存在から霊指導を受けています。
大川総裁先生以外にも、イエス様や光の天使から通信を受けとることができる人がいると主張している人がいます。
確かにマンデラ氏はイエス様から霊的な指導を受けとっていたといわれています。これを以て誰でも、イエス様や光の天使から通信をうけとることができると安易に考える人がいます。
マンデラ氏の過去世は偉大な光の存在です。ですから波長同通の法則から言って受けとるべくして受け取ったと言えます。
波長同通の法則は正確に働いています。

総裁先生以外にイエス様の通信を受けとることができないと言うと、教条主義として批判する人がいますが、これは全くの間違えです。
真理に基づいて、イエス様の通信をうけとる人は、同じ程度の悟りが条件であると言っているだけで波長同通の法則に基づいて正しい意見を述べているだけです。

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posted by ガンちゃん at 09:20 | Comment(0) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月14日

「大阿闍梨に引導を渡す」を読んでの感想

「大阿闍梨に引導を渡す」を読んでの感想

大川総裁先生が天台宗のS氏を悟らしめる会話は、大変勉強になります。
S氏の問題点とは何だったのか、いくつかの問題があったのだと思います。
私も人のことを言える立場にありませんが、反面教師として私達が注意するべき点があると考えますので、自分の学びとして思った感想を書いてみます。

S氏は積極的に人を害する気持ちは持っていないと自分には感じとることができました。この点に関しては、でたらめな捏造記事を書いて、その自分の書いた捏造記事を根拠に人を批判する人物よりはましではないかと思います。信者の中には残念ながら、人を貶めることで自分の欲求不満を解消し、自分の価値を相対的に高めようとする人が存在します。
レオの記事から引用すると
「いったいなぜあの人は、宗教的・政治的・学問的に、あれほど奇怪で不合理な立場を擁護するのだろうと、不思議で仕方がないことがしばしばあるが、
よく調べてみれば、ただ自分の立場を擁護する保身術にすぎないのである。」
ということだと思います。

ただ、天台宗が仏教的悟りとは何かということがわかっていなかったということですので、S氏に関しても仕方がない面はあると思いますが、悟りを歩く中にあると考えた点、それは言葉を換えれば中身より外から見える修行の中に悟りがあると誤解してしまった点が問題であったのかなと思います。
瞑想にしても外見だけをまねれば、座っているだけにしか見えません。しかし、大事な観点は何を考え、何を思索をしているのかが問題なわけです。
実践的な観点での修行においては、極端な苦行の中にも、自分を甘やかし堕落させる快楽の中にも人間としての真実の道はなく、両極端を否定した苦楽の中道に正しい修行者としての在り方があると思います。
千日回峰と言って山の中をクルクル回っていても、智慧を得るという仏教の大事な目標に到達することはできないというところに修行として誤りがあるのでしょう。
確かに仏陀からの教えを学ばなければ、どのように修行をすればよいか迷ってしまうと思いますが。
千日回峰といった一般の人ができないような修行を通して超人的になり自己実現をしたかったのかと思いますが、結局自分の劣等感や心の闇の部分を埋めるために宗教に逃げ込んだということでしょうか。
宗教はそのような悩みを救う為にあるので、宗教を学ぶことじたいは正しいことであると思いますが、何かをすることで(S氏の場合は歩くことで)自分を誤魔化そうとしたのでしょう。
自分自身にも弱い心が当然有りますので、他の不当な批判や感情に左右されることのない強靭な精神力を鍛えていきたいと考えています。
強靭な精神力を鍛えるといえば、如来といわれる方々は、その認識力や悟りの高さはもとより、精神力が強いなーと感じることがあります。
実際あったことがあるわけではないのですが、本を通して精神力の強さを感じとることがあります。
総裁先生も、この地上に存在する誤てる価値観や間違った常識に対して戦い続ける姿を観るにつけ、少しでも近づけるように努力しなければいけないと思います。

このように菩薩や如来といわれる優れた存在達の霊言を、いとも簡単に受け止めることができるという人物がいます。
私は以前、波長同通の法則として如来の通信を受けとるには、受けとる側の認識力が少なくとも同じ程度なければ声を聴くことはできないという内容の記事を書きましたが、それに対してそれは教条主義者の間違えです、と記事にしている人がいます。(私も読まずに無視すれば良いのですが)

その人はこのようにも書いているので、私もびっくりして椅子から滑り落ちるところでした。

『心が幼子のようであれば、9次元霊の声でも聴き取ることができますし、上位霊が望めば、自由自在何ですね。
この辺が、教条主義者との違いです。
もう、分からないなら、分からないというべきです。
分からないのに、思い付きで述べてしまっているから、ダメなのです。
イエス様の声は、幼子には、よく聴こえたものと解釈しています。』

幼子のようであれば、9次元霊の声を聴き取ることができると述べています。
確かに聖書には、イエス様の言葉として次のように書かれています
「心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう。この幼子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである」
この意味するところとは、幼子のように、自我や我欲がなく物に執着しない、とらわれのない心であれば天国に入ることができるという心の問題を言っているのだと思います。また、自分を低くするとは本当の意味での謙虚な心を言われているのだと思います。

しかし、心が幼子のようであれば天国にはいることができるということと、幼子のようであれば9次元霊の声が聴こえるということは、まったくの別問題です。
天上界には段階があり、4次元から9次元まであるといわれています。例えば5次元から生まれた人がある時期、心が清いからといって9次元の言葉を聴くことができるでしょうか。
あるいは生まれたばかりの幼子であれば、地球上に沢山いると思いますが、すべての幼子はイエス様の声を聴いていると、その人物は述べているのでしょうか。

私は、聖霊、高級霊に対しての畏敬の念を持つことが大切であると思います。総裁先生がいてくださることで、高級霊のお言葉を聴くことができますが、本来ならそのような高級霊のお言葉を聴くことができないはずです。
地上に生まれた私達と、高級諸神霊とでは全く立場が違いますから、畏敬の念を持ちつつ謙虚さを忘れないことが大切であると思います。

初めに書いた、大阿闍梨のように肉体を鍛えるだけや、教条主義と言って教学を正しく理解しない自分勝手な解釈をする、あるいは自分に引き寄せて法を勝手に解釈する考え方の両方を否定した中道が大事であると考えます。


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posted by ガンちゃん at 18:48 | Comment(2) | 総裁先生の本を読んだ感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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