2018年11月25日

「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」正義を実現する強い意志と明確な真理知識が霊界参入時の助けになる

「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」正義を実現する強い意志と明確な真理知識が霊界参入時の助けになる


広大な霊界の中に三次元空間が含まれていますが、一般的には霊界と地上界は分けて考えられています。
なぜなら、物質世界で働く物理的法則が霊界に働く法則と違うからです。

霊界に参入する修行は一般的には秘儀とされています。
神智学や人智学では、自分自身に対して厳しい姿勢を貫けない人は霊界参入の秘儀を授けられることはありません。
他人に対しての依存心が強く、人間の本質である思考つまり考える力がない人は、とても危険です。

思考(考える力あるいは真理を正しく理解する力)と感情と意志が正しい人間性にふさわしい形で関連していないと人格の分裂を起こす危険性があるようです。

自分の感情を統御できないで、すぐに怒る人は理性的判断などできません。
自分に考える力がなければ、世間に流されるだけで自分の主体的な意志で人生を生きることができません。正しい人間性は「感情」「意志」「思考」の正しい関連でつくられていきます。

神秘学あるいは正しい宗教は、まず、自己の完成をその目標とします。

「霊眼を開発した人は、遅かれ早かれ一度も物質界に現象したことのない存在に出会うが、その存在は人間よりも高い存在であることもあるし、低い存在であることある。」
とシュタイナーは述べています。

自分の人格が正しい人間としてある程度の完成をしていなければ霊に翻弄されることを意味しています。

仏や神に対しての畏敬の念や信仰心があれば、信仰心に相応しい心の在り方と行いが要求されますから、それを守ろうと努力する限り天国に還ることは可能であると思います。

しかし、死んでからではなく生きているうちに霊界に参入するためには、厳しい宗教的修行が要求されます。

以前、霊的世界の交流に関しての危険な部分を書いたところ、私が異次元パワーを否定した唯物論者であるかのように騒いだ人達(現在はブログ村から消え去りました)がいましたが、考える力が弱いとこのようになるのです。
私は、異次元パワーを否定していないし、霊的世界に参入しようとするときに生じる危険性を書いただけなのに、強引に私を唯物論者にもっていこうとする人たちがいたということです。
あるいは文章は自分で考えて書くことに意味があり、他の人の考えた記事を自分のブログに集めて人気が出たところで霊的にはどうなのですかと問うと、自分が否定されたと思い私を悪魔側の人間であるかのように読者を誘導しようとします。
いっけん気の弱そうに見える人ほど内面は強情です。
なぜ注意されたのかを考えず(思考力)逆切れ(感情の制御)し自分が反省しない(意志の弱さ)で他人を悪魔呼ばわりする人もいるということです。
ブログ村を去っていった人の中にも私を悪魔呼ばわりしていた人がいましたが、どのような批判をされても私自身の価値が変わることはありません。
と神秘学では教えてくれます。

このように「思考」「感情」「意志」を正しく関連付け、人格が練れた人が霊界参入に入ることを許される人なのでしょう。

人間は事物に対しての関心がなければ、目には映っていても意識されず記憶にのこりません。
物質世界は、感覚器官を通してある程度、客観的に認識できる世界ですから、自分の足場を失うという感覚はありません。

しかし、霊界は客観的認識が成立する世界ではなく、論理的に説明することが困難な世界であるといわれています。

自分の考えや意志、感情が変わると事物や環境が変化します。
自分の内面に即応した形で外界が変化する世界です。

ですから霊界に関係する前段階で、正義を実現する意志の力、神仏に対しての崇拝の念、正しい真理知識の習得が非常に大切になってくるようです。

認識力を持たない小さい子供が外界に対して説明をつけられないように、正しい真理知識を持たない人が霊界に参入することができても霊的意味を理解することができません。

大切なことは自分が仏に向かって努力することが、利他にもつながるということです。
「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」
自分が努力精進することが、仏からみて全体を押し上げていく力の一部を担っているということです。

神仏に対しての信仰心が真実あれば、天国の門は開かれると思います。



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posted by ガンちゃん at 02:40 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月25日

変化のなかにこそ進化がある 魂の幸福は向上していく過程にあると思う

変化のなかにこそ進化がある 魂の幸福は向上していく過程にあると思う

人間は通常、変転変化より固定したもの、あるいは安定を求めます。変化に対応するには努力が必要です。安定を求める心には、安心を求める心の働きがあるのでしょう。

仏教の三宝印の一つに「諸行無常」があります。
この地上にあるすべてのものは、時間の流れの中で変化し続けていき、変化しないもの固定的なものは存在しません。
すべての存在には、滅びが内包されています。
存在と消滅は対をなしています。
しかし、縁起の理法・因果律によって、あるいは努力によって変化の方向を調整できる可能性はあると思います。

「諸行無我」とはなにか。
この世のもので定義できるような実体や本質をもった存在はありません。
すべては、他に依存しながら存在しているのであり(依他起性)、自立的な存在、姿や形を変えないものは、霊界においても、物質世界においてもありえません。
(依他起性とは、他に依って起こる性質という意味です。因縁によって生起するものをいいます。)

ギリシャの哲学ヘラクレイトスの言葉を引用するならば、
「同じものがあるのだ。生きている時も死んでいる時も、若いときも年老いた時も、なぜなら、このものが転化してかのものとなり、かのものが転化して、このものがなるからだ。」

あるいは、アウグスティヌスの『告白』の中には、「われわれの魂の中でいつも同じままに留まっている唯一のものは、過去の現在・現在の現在・未来の現在、つまり、『記憶』『直観』『希望』なのであると述べられています。
ですから魂の記憶、直観、希望以外は流れ去るものといえます。

つまり安定とは、一見すると人間の安心感に結びつけて考えやすいのですが、実際は、何の努力もともなわない安定は、停滞を生み、魂にとっての進化という経験を放棄したことになるのかもしれません。

幸福を求める時、安定した中に真理を探究するのではなく、変化こそ真理であり、人生の本質であるという認識をどこかにもっていた方が、いいのかもしれません。

変化を受け入れ努力を継続的に続けることで、魂が進化し認識力が拡大することでしょう。
認識力が広がること自体が幸福であり、魂の喜びとなるでしょう。





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posted by ガンちゃん at 02:54 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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