あまり、あっちこっちに手を出すよりは、一つのテーマである程度、考えを深く掘り下げたほうが、実りがあると考えます。
今年4月からいよいよ新指導要領にかわって小学生の教科書の内容がかなり難しくなるようです。
上の学年から下の学年に一部、内容が下りてきて算数は33%、理科が38%前後、教科書の内容が増えると聞いています。中学生は来年から一部教科書の内容に高校で習う内容が入ってくると思いますが、今まで『ゆとり教育』で育ってきた子供たちにとってもある意味大変になるだろうなと思われます。一部では土曜日も授業を再開する学校があるようですが、まだ土曜日、日曜日の休みの学校も多く、間違いなくスピード授業、詰め込み授業が再開されるものと思われます。
もともと授業内容を理解できる子供でも、飲み込みが遅いとスピードについていけず落ちこぼれる可能性があるし、詰め込みで回答に至るプロセスは教えるが、人間的に受け身の人格がつくられて思考力、考える力が弱くなるのではないかと聞いたことがあります。
そこで、教育の現場で活躍されている教師の方の苦労は大変よくわかりますが、素人の視点で教育に関して思うことを述べてみたいと思います。
教育学の基本文献として総裁先生の著書をぬかして考えると、プラトンやコメニウス、ルソーのエミールや、ヘルバルトの一般教育学、デューイの経験と教育などその他にもいろいろあると思います。
例えばヘルバルトの教育学の体系の特徴として、教育を「管理」「教授」「訓練」の三つの分野に分けた点にあると思います。
彼は、子供というのは意志を持たずに生まれた来るのだから、あらゆる道徳関係には無能力である。と述べています。要約すると、人間はその動物的欲望から非常に利己的になって狡賢い悪巧みにたけた人間が出来上がると言っていると思います。
この考え方は現代の日本の教育界の指導的な立場の考え方ではないでしょうか?
子供はほったらかしにしておくと、何をするかわからない動物的な存在と見ているということだと考えます。だから、徹底的に管理が必要なのだと・・・
これは、どう考えても性悪説です。性悪説の根底には唯物的な考え方があると思う。
社会主義的な考えも国民をしっかりと管理していないと、何をしでかすかわからないといった、性悪説、つまり基本的考え方としての唯物論があると思う。
性善説は必ずその背景に宗教的バックボーンがあると思う。現象的には善悪の悪と思われる行動や言動など仏や神から見て悪いと思われる出来事は数限りなく行われているが、人間の魂の本質的な部分としての仏性や神性があるからこそ、人間は尊い存在であり、だからこそ教育を通して人間を引き上げていけるのである、教育を通して人間は素晴らしくなっていくことが可能であると思われる。
人間は動物的な属性とは本質的に違う何かを有する存在であるとは、まさくし霊的な仏性、神性の部分であり、人間の尊さはここから生まれれ来るのであろう。
ただし、これは精進、努力を通して顕現されるものであり、その基本的な根柢の部分を作るのが学校教育であるのでないかと考えいます。
もう少し教育の法とからめて自分の考えをまとめていきたいと思います。
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