2011年03月09日

ガンちゃん;教育について その2

本日も教育に関して意見を述べて行きたいと思います。
あまり、あっちこっちに手を出すよりは、一つのテーマである程度、考えを深く掘り下げたほうが、実りがあると考えます。

今年4月からいよいよ新指導要領にかわって小学生の教科書の内容がかなり難しくなるようです。
上の学年から下の学年に一部、内容が下りてきて算数は33%、理科が38%前後、教科書の内容が増えると聞いています。中学生は来年から一部教科書の内容に高校で習う内容が入ってくると思いますが、今まで『ゆとり教育』で育ってきた子供たちにとってもある意味大変になるだろうなと思われます。一部では土曜日も授業を再開する学校があるようですが、まだ土曜日、日曜日の休みの学校も多く、間違いなくスピード授業、詰め込み授業が再開されるものと思われます。
もともと授業内容を理解できる子供でも、飲み込みが遅いとスピードについていけず落ちこぼれる可能性があるし、詰め込みで回答に至るプロセスは教えるが、人間的に受け身の人格がつくられて思考力、考える力が弱くなるのではないかと聞いたことがあります。

そこで、教育の現場で活躍されている教師の方の苦労は大変よくわかりますが、素人の視点で教育に関して思うことを述べてみたいと思います。

教育学の基本文献として総裁先生の著書をぬかして考えると、プラトンやコメニウス、ルソーのエミールや、ヘルバルトの一般教育学、デューイの経験と教育などその他にもいろいろあると思います。

例えばヘルバルトの教育学の体系の特徴として、教育を「管理」「教授」「訓練」の三つの分野に分けた点にあると思います。
彼は、子供というのは意志を持たずに生まれた来るのだから、あらゆる道徳関係には無能力である。と述べています。要約すると、人間はその動物的欲望から非常に利己的になって狡賢い悪巧みにたけた人間が出来上がると言っていると思います。

この考え方は現代の日本の教育界の指導的な立場の考え方ではないでしょうか?
子供はほったらかしにしておくと、何をするかわからない動物的な存在と見ているということだと考えます。だから、徹底的に管理が必要なのだと・・・

これは、どう考えても性悪説です。性悪説の根底には唯物的な考え方があると思う。
社会主義的な考えも国民をしっかりと管理していないと、何をしでかすかわからないといった、性悪説、つまり基本的考え方としての唯物論があると思う。
性善説は必ずその背景に宗教的バックボーンがあると思う。現象的には善悪の悪と思われる行動や言動など仏や神から見て悪いと思われる出来事は数限りなく行われているが、人間の魂の本質的な部分としての仏性や神性があるからこそ、人間は尊い存在であり、だからこそ教育を通して人間を引き上げていけるのである、教育を通して人間は素晴らしくなっていくことが可能であると思われる。

人間は動物的な属性とは本質的に違う何かを有する存在であるとは、まさくし霊的な仏性、神性の部分であり、人間の尊さはここから生まれれ来るのであろう。
ただし、これは精進、努力を通して顕現されるものであり、その基本的な根柢の部分を作るのが学校教育であるのでないかと考えいます。

もう少し教育の法とからめて自分の考えをまとめていきたいと思います。
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posted by ガンちゃん at 02:18 | Comment(0) | 教育について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

ガンちゃん;教育に関して思うこと

教育に関しての考えをまとめてみます。

小1プロブレムが問題視されています。授業中歩き回ったり、騒いだりして家にいるのと学校にいる時の区別がつかない子供が増えているようです。
その背景には子供の育つ生活環境の変化が原因だといわれている。
ある校長は、『子供が一人で遊び歩くことが禁じられ、習い事に忙しく、遊べる場所も友達も限られている。新しい環境への適応力が育っていないのも仕方がない。』と話している。
また、別の校長は
『昔なら厳しく叱れば教室はおとなしくなったが、今はそういう時代ではない。ただ、わがままといえる言動を許してしまうことになっているのでは』といった発言がされていたが、どちらの意見も解決策が見当たらない。

保育園や幼稚園と時間割で動く小学校の生活では文化が異なる。適応できる子供は問題ないが、中には適応できないでつまづいてしまう子供もいるとは思う。

小1プロブレムの要因として、「児童に耐性が身についていない」「基本的な生活習慣が身についていない」「家庭での教育力の低下」「担任が指導を適切にはできなかった」とあったが、児童の耐性や基本的習慣力もすべて家庭での躾にあたる部分ではないかと思います。

実際、子供を育てるご両親は大変であるのは理解できますが、それでも各ご家庭で教育に熱心な母親もいれば、まったく教育に関して考えているとは思えないご両親もいることは事実だと思います。

遅まきながら教育の法を読み始めたばかりなので、自分の頭の中を整理したいと考えていますが、やはり保育園児や幼稚園児にとって大事なことは、基本的な生活習慣を身につれることだと考えます。

小さいうちから不規則な生活をすれば、基本的生活習慣の乱れとなり、学力や体力低下をもたらすことになり、非行の原因にすらなると思う。

基本的生活習慣とは例えば、早寝、早起き、朝ごはんをしっかりとる等。
ぺーバーテストでも朝食をきちんととる児童生徒ほど平均正答率が高いそうです。

(ちなみに朝食は、ご飯のほうが脳に良いそうです。パンなどは柔らくて、くだいて飲み込むだけですが、ご飯ですと噛むことで脳に刺激を与えるそうです。)

子供に勉強を教えていくにも理解スピードがゆっくりタイプの子供やマイペース型、中にはうさぎさんタイプのような勉強を先へ先へと進めていくが、うっかり見落とし、早とちりする子供もいるし、個性や性格が十人十色なので、一クラス20〜30人以上いると教える先生も大変であるとは思います。

理想を言えば先生達が、子供に道徳的善悪、あるいは宗教的な心に関する話をすることができればとは思いますが。

塾で勉強している子供たちが既に、人を蹴落としてもといった阿修羅波動で勉強しているようでは今の学問て『何』と感じてしまう。

本来の学問は人を変え、その子供の未来にも影響を与える大事なものであるはずなのに、何か本末転倒のような気がするが。これは子供だけの問題でなくて、大人たちの言動や行動にも問題があると思う。

ジョンロックの教育に関する考察の中で、『子供たちは大抵手本にならって行動します。われわれはすべて身近にあるものの色になる一種のカメレオンです。聞くものよりも見る者のほうが理解しよい子供たちについては、このことは怪しむにあたりません』とあるが、大人たちがまず自分自身を律して子供の見本になれるような、言動、行動をすべきであると思う。

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