まず、人間とは何か、人間の本質とは何か、人はどこから来てどのに行くのかなど教育の根っこの部分がしっかりとした哲学的、あるいは宗教的なバックボーンがないために教室が荒れ放題になり、先生は、とても先生と呼びる人物とは思えない、あるいは人を教える資格など本来無い人間が生活のためだけに教師をやっている。(もちらん子供たちのために全力で教育をしてくださる、素晴らしい先生はいつの時代でもいらっしゃいます。)
教育の法でも、先生の存在やその言動は子供たちのその後の人生にも大きな影響を与えると言われていたと思います。
自分ごとで恥ずかしいのですが小学校の頃、クラスの友達の一人が授業中トイレに行かないで我慢をして、漏らしてしまったことがあります。周りの生徒はみんな笑っていましたがその時、女性の先生でしたが、コテンパに叱られました。
その時におっしゃられてた言葉が『もし、自分がそのような立場だったらどうするの』という内容だったと記憶しています。
勉強の内容はすべて忘れてもこの言葉だけは、しっかりと覚えています。
この時、自分は汝のしてほしいと思うことを他の人にも施せ、あるいは自分が嫌なことは他人にもするな、ということを身をもって実体験したということです。
つまり先生の行動や言葉の一つ一つが子供たちに人格を作る上で非常に大きな影響を与えているということです。
教育の法の2章いじめ問題解決のためにという題で、いじめについての現在の学校の対処の仕方や教師の隠ぺいなどが書かれていましたが、はっきり言って読んでて腹の中が煮えくりかって怒りが収まらない気持ちでした。
子供が自殺まで追い込まれているほど苦しんでいるというのに、いじめ側とつるんだ形をとり、校長を含めて学校の外部に漏れないように隠ぺいすることに力を使っているとは、いったいどのような人間なのか本当に信じられないことだと思うし、このまま許してはいけないことだと心底思う。
子供が自殺したというのに、その子の気持ちを考えようともせず、家族の気持ちも考えず、親族など、人の気持ちが全く理解できないで、ただ自己保身のために今も教師をしているのかと思うと、何としてもこの人物を教育の場から引きづりおろしたい。
子供が苦しんでいるのに教師および校長などが責任から逃げることばかり考えているとは、言葉を選ばなければいけないがクズだと思うし・・・どうにかならないだろうか。
初めのほうで人間の本質とは何か、どこから来てどこに行くのかと言う問題定義をしたが、シュタイナーの教育関係の本には、こんな内容が書かれていたと思います。
『今ここに存在している、全く頼りないように目の前で泣き叫んでいる赤ちゃんも、その中に遠い過去からの豊な経験を潜在的に含んだ豊かな種子としてここにいる。』あるいは、
『種子が開花と結実の結果として、今ここに存在しているように、子供の魂も長い運命のプロセスをたどった末に、時期がきて、再びこの地上で人生を歩みたいという衝動にうながされて今この世に生れ、一生懸命新たに与えられた肉体と結びつこうとしている。』
つまり人間の本質は霊的存在であり、長い転生輪廻の中でいろんな経験を通し魂を鍛えながら、目指すべき方向として仏神に少しでも近づこうとしながら努力している。
このような見方を本質的なところでもっていれば、子供はほっておくと何をしでかすかわからない得体のしれない存在なのでしっかり管理しなければいけないという性悪説的考えで、子供を動物とかわらないという考え方は出てこないはずである。
つづく・・・
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