2011年03月20日

ガンちゃん;教育の法講義 感想(後編)

教育の法に関しての感想です。

信仰心を胸を張って言える子供を作っていくことが大事であると言われています。教育の土台に仏や神に対しての畏敬の念、あるいは人間を超えた目に見えない尊い存在がいて、自分自身が生かされているという考え方を持たないと、ちょっと知識をつけたぐらいで人を見下したり、批判したりあるいは、傲慢になってしまうのではないかと思います。

信仰心についてストア派のエピクテトスは、『信仰心がないというのは、神からの恩恵を軽視するからであって、ちょうどそれは人が視力、もしくは聴力、もしくは言語そのものの有用性を無視するようなものだ』と述べられています。

先ほど信仰心に対して神に対する畏敬の念が必要であると述べましたが、シュタイナーも我々の時代にはこの点に特別に注意を払うことが非常に重要である。今の我々の文明生活は尊敬したり、献身的に崇拝したりするよりも、批判したり、裁いたり、酷評したりする方に傾きがちである。しかしどんな批判も、どんな裁きも魂の高次な認識を失わせる。それに反してどんな献身や畏敬もこの力を育てる。と述べている。

人を裁いたり、酷評したりすることがなにか知識人であるかのような錯覚をしているのではないだろか。また、感覚を通して追体験できないことに関しては学問的対象外にあり、あるいは学問の範囲を超えているので、取り扱わないことが現代の知識人であるかのような誤った認識、価値観をもっていると思う。しかしこの辺はカント哲学を現代の教育者関係の人たちの誤った認識であると思うので、幸福の科学的な正しい真理の立場で正していく、伝道していく地道な行動しかないと思う。

あとは公立の先生の評価基準として、一般社会でも通用するかどうかという判断基準があると述べられていたと思います。
しかしこれは、公立の先生以外でも、自分を含めた会員たちに対しても当てはまる基準であると思う。一般の社会の中で真理を勉強した人たちが、どれだけ社会的実績を作れるか、あるいは評価されるか、あまり外の価値判断で自分を判定しすぎるのは問題であるとは思うが、反面ある程度の社会的信頼を作る、そのようなこの世的常識の力も大事であると思う。

いずれにしても、教育関係の人たちに限らす、最終的には人間学を今、その人の立場で学んでいく必要があると思います。
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posted by ガンちゃん at 02:17 | Comment(2) | 教育について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

ガンちゃん;教育の法講義 感想(前編)

また、教育に関して自分の考えをおりまぜながら、教育の法の講義を拝聴した感想を書き込みます。

政治家あるいは知識人にかけている致命的な知識は、軍事関係の知識と歴史的な知識と言う指摘がありました。

本当のエリートとは、国民を守る義務があるので軍事的な知識は必須であり、平和を唱えれば平和が実現すると思っているある意味平和ボケした偽知識人が多いので、このような人たちは実際の危機管理能力がなく国民の生命や安全、財産など守ってくれないのではないかと思う。

プラトンのポリティコス(政治家)と言う書物で政治家に必要な資質に、『勇気』と『慎重』をあげています。
政治家には、両方の資質が必要でどちらか一方だと国民が危機な状態に陥ってしまう。

慎重なだけの政治家は、国内や国外においても或る意味で平和外交を貫きたいと願っている。しかし、これらの平和愛好心は必要限度を超えて、まの抜けたものになるのがつねである。
自分自身は不戦、つまり戦わない不戦の心を持ち、国の青年たちにも同様の心情を抱くように躾ける。

しかしこれらの種族は、自分では気がついていないかもしれないが、外部からの侵略者たちにとって蹂躙される寸前に立っている。
ひとたび外敵によるこの破局が訪れた時、この種の人々自身や女、子供もそして当然国家全体も自由な姿で無くなり、すべて全く奴隷にされてしまうのである。
そうなった後で自分の非に気がついたとしても後の祭りである。

また、勇気の方を偏愛する傾向のある人々の場合どうであろうか。
この人々は、尚武の気概に満ちた生活を必要以上に激烈に求めたがる欲望に駆られて、自分らが所属する国家を常に何らかの戦争を起こすようにと叱咤教導し続ける結果、多数の強国から憎悪を受けるような窮地に立つことになって、自分らの祖国を完全に滅亡させるか、あるいはこれらの敵国に奴隷のように屈従する属国の悲惨な地位に祖国を没落させるかのどちらかである。

と、『政治家』という書物で述べているが、2500年前に書かれた書物であっても現代の日本に当てはまる非常に大事な考え方であり、また実践的に書かれていると思う。

この点に関してまとめると、軍事的な知識、国際的な視野、そのような視野を持つことが大事であると述べられていました。

また、政治家の歴史的な知識の不足によって他国からゆさぶりをかけられるので歴史認識は教養人として大事である。

あと、知識だけでなく人間を観察する力や、経験も大事であり、学生であれば、社会人になっても学び続ける基礎力が大事である。

あと現代に特に問題なのが唯物論的な科学的認識論であろう。
一般的な科学は、感覚的な経験をあらゆる知の基礎とみなしている。そして科学はこの基礎の上に築きあげることのできないことに関しては、不可能として考え、あるいは認識の限界を超えているということで無視したがります。

しかし霊的な観点で見れば上記のような考え方は「目で見て、感覚で触れたものをもとに推論を通して明らかになる事柄」だけを認めようとし、目が見える人間が語ることを人間の認識能力の範囲外にあるものとして拒絶する盲人の考え方に似ている。
なぜなら、霊的な学問の視点から「人間は進歩する能力を備えている。人間は新しい器官を発達させることによって、新しい世界観を獲得することができる」と言うことを教えてくれる。
色彩と光は盲人の周りに存在しているが盲人は必要な器官を備えていないので光や色彩を知覚することができません。

それと同じように人間の周りには、たくさんの目に見えない世界が存在していて、人間は必要な感覚器官を形成しさえすれば、これらの世界を知覚できるようになる。とシュタイナーは教育論で述べていたと思います。

しかし、このような超感覚的な器官をすべての人が身につけられるわけではないので『信仰心』が大事なのである。

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posted by ガンちゃん at 02:43 | Comment(0) | 教育について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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