2018年03月03日

悪霊の手口 相手に恐怖心をいだかせ自分を強大にみせる ハトホルの書より

悪霊の手口 相手に恐怖心をいだかせ自分を強大にみせる ハトホルの書より

悪霊、悪魔の類は、とにかく自分が偉いと自己主張します。
過去世は何々であるとか、9次元から通信を受けているとか、とにかく自分は偉いというような形に持っていき、相手を取り込もうとします。

しかし、真理知識を知り善悪の価値判断ができ、理性的な人は騙されたりはしません。

感情の起伏が激しい、感情にブレが生じている、心配事が解決されない等、感情が不安定だと騙されることはあるかもしれません。

○○○子氏は、文殊でもアフロディーテでもナイチンゲールでもなかったので、最後の拠り所として、自分の過去世は、トスの妻ハトホルであるという風に主張し、自らの正当性の根拠にしようとしました。
(トス神の妻はハトホルという名前ではないと思われます)

しかし○○○子氏の霊的正体は、生前のエドガーケイシーのリーディングや、エロスの霊言の中で出てきたアフリカの地の祟り神で、恐怖の女神であるハトホルであることが明らかになったと思います。

天使も地獄に落とす、非常に強力なマイナスエネルギーに嫉妬心があります。
宗教に関係する嫉妬心とは、自分も神や仏のように偉くなりたいという思いです。
そのなりたいという思いは、向上心からではなく、自分が注目されたいという気持ちからでしょう。
人を救いたいという思いではなく、人から称賛されたいだけだと思えます。

さらに嫉妬心に妄想が加わりますと、自分は光の天使か神だと思いこもうとします。
そうなると今度はやたらと、高級霊から指導されていますという話が多くなります。

○○○子氏はトス神の時代にトス神の妻に嫉妬していた誰かであり、あるいは、ナイチンゲールに嫉妬していた看護師という関係と全く同じで、非常に強い嫉妬心があります。

このように、○○○子氏は、文殊でもアフロディーテでもナイチンゲールでもありませんでした。
最後は因果の理法によって、教団を追放になります。


ハトホルは、ハトホルでも、トス神の妻ではなく祟り神、恐怖の女神のハトホルであっということです。

ハトホルとは、イエス様の過去世であるアガシャー大王の殺害に関わった者の一人であり、アガシャー大王を殺害した後に、エジプトの地に逃れたアモン・ラー(宏洋様の過去世)を追撃しましたが、アモン・ラーに返り討ちにされて、あえなく死んでしまったようです

その怨みから、その地を中心に、邪悪な信仰を広げ、恐怖によって忠誠と服従を強制し、従わない者には、容赦なく罰を与え、殺してしまうという恐怖の祟り神信仰を広めたようです。
※(霊言では、ルシュフェルより、人の数は殺しているので、わたしの方が上だということを言っていた。ルーは戦争で、殺すが、私は疫病を流行らせるから、人を殺す数は少し上だと言っていた)

アフリカは、昔、戦いに勝ったら負けた相手を食べてしまう風習がありました。
相手を食べる事で、相手の霊力、アニマが自分に宿るという理由であり、ハトホルは、霊言の中で、この教義を広げたのは、自分だと言っていました。
この負けた相手を食べるというのは、悪質レプタリアンの習性そのものであり、彼女は、この霊言でゼーター星から、エンリルと共に来たレプタリアンで、ルシュフェルの妻であった事を白状しております。

話し方も著しく品性に欠け、女神というよりは魔女でしょうか。

ハトホルは霊言の中にありましたように、幻覚を見せる事だと自らが暴露しています。
自分を強く見せて、祟り神として相手を恐怖させ、自分を祭らせようとします。

逆に自分を強く見せようとする行為自体が、弱さの証明のように私には思えますが。

ハトホルは、救世主殺しのカルマを持っていて、霊言でハトホルは、アガシャー、クラリオ、イエスを殺したと言っていますが、自分が救世主を殺せる力を持っているかのように言い恐怖させようとしています。

勿論、祟り神として実績はあるので、侮ってはいけませんが、恐れてもいけません。
恐怖心を、つのらせると相手の術中にハマり、邪霊の邪悪なる力のエネルギー源になってしまいます。

彼女は、イエス様の時代にユダとして生まれて、イエス様を十字架にかけるキッカケをつくっていますが、実際ユダは、イエス様を裏切った後に良心の呵責に耐えられず、イエス様が十字架にかかるのを見る事ができず、罪の意識に怯え首を吊って自殺しています。
そして、一千年近く地獄で苦しむことになります。
そして、イエス様の慈悲によって地獄から、やっと出て来て、やり直しの機会を与えらましたが、魂の傾向性の影響だと思いますが、今回もまた同じことの繰り返しをしてしまいます。

上記で書きましたように、アトランティス末期にも最後には、アガシャー大王の息子のアモン・ラー(宏洋様)に倒されています。

オフェアリス神の時代にはハトホルの魂の兄弟が、オフェアリス神の弟であるセトとして生まれ、オフェアリスを殺したと言っています。
しかし一旦、殺されたかのように見えたオフェアリス神は、奇跡の復活を果たして、オールマイティーゴットとなっております。

セト自身はオフェアリス神の息子のホルス、真輝様の過去世のホルスによって、倒されています。

嫉妬と復讐心、呪いの心は自分自身のみならず多くの人を不幸にします。
嫉妬と呪いは、幽霊、悪霊の原点でもあるので、宗教として破しゃくせねばならない。




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posted by ガンちゃん at 14:20 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

信仰を否定する左翼唯物論 政治と医療の闇について

信仰を否定する左翼唯物論 政治と医療の闇について

現代の日本には、まだ、信仰を否定する勢力、左翼的唯物論、無神論が根強く国の上層部に生き残っています。

戦後の左翼史観による歴史的教育によって、日本人は悪というレッテルを強引に貼られてしまいました。
その左翼を裏で操っていたのが、旧ソ連のコミンテルンです。

コミンテルンはレーニンの指導によってモスクワに設立された国際共産主義運動の司令塔です。
目的は各国での資本主義の打倒や、階級の廃絶などです。

このコミンテルンが「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書を日本共産党に授けました。(テーゼは運動方針書というような意味)
それ以降、この運動方針書を左翼の人たちは「三十二年テーゼ」と呼んでいます。

この三十二年テーゼは原稿用紙30枚足らずで、わりに短い文書で「天皇制を打倒することが、共産主義革命の最初の課題である。」というように、当時の日本共産党に授けたわけです。

ある評論家は、「この六十数年間、我が国の左翼人、戦後の進歩的文化人、そして現代の反日的日本人、彼らが書き散らした近代日本についての批判は、すべて「三十二年テーゼ」が指示した方向を忠実に守っている」と述べています。

たった原稿用紙30枚程度のテーゼを守ろうとする左翼によって今、日本人及び日本神道の神々も苦しい状況の置かれていると思えます。


マルクス・レーニン主義や毛沢東主義を信じている政治家は学生時代に勉強した自分の考えを否定されたくないのでしょう。

この国の子供たちを育てる教職員たちは、日の丸の国旗や国歌に対して、軽蔑的な言辞を吐き、そして、この国の尊さを自ら否定し、子供達に左翼的唯物論・無神論を教えています。


宗教を信じる者にとって、如来や菩薩、天使といわれる人たちをあざ笑ったり、迫害したり、いじめたりする世の中を断じて肯定することができません。

キリスト教においても、聖霊を汚す罪は許されないと教えているはずです。

今の左翼系のマスコミなど、言論機関を使って主を迫害するなど、いつまでもこんな事が許されてよいわけではありません。

言論機関だけではなく、人間の「死」に対しても同様です。
いろんな分野で、生命とは何かという研究がなされています。
しかし、定義を間違えると大変な悪になり霊的世界を含めて大混乱になり闇の部分が広がってしいます。

臓器移植に関しても、人間の「死」を脳が停止した段階と定義すれば、心臓が動いていようが死んだことにしてしまい、臓器を取り出すというのですから、真実の世界観から見たら野蛮人の行為にしか思えません。

医学にしても実存主義的哲学にしても、現象面、一面というか一部分しか見ておらず、それを全体の本質だと考えるところに間違えの根本的原因があると思います。

プラトンの国家という書物に有名な例え話で洞窟の話があります。
生まれた時から洞窟で生活して、体は身動きがとれずに鎖で縛られ、顔は正面にある壁しか見ることができないようにされています。
後方から光がさしてくるのですが、壁に映るのは事物の影であり、洞窟で生活している人は、その影をみて自己を認識し世界を認識しています。
ある時、この洞窟の住人が鎖から解放され、洞窟の外に連れていかれるのですが、外の世界は光り輝く世界であり、色彩豊かで広大な世界が広がっていました。
それを見た洞窟の住人はこのように述べます。
「真実の世界とは色彩豊かで光り輝く美しい世界です。今我々が見ているのは真実の世界(理念)からの投影であり、影にしかすぎません。」
洞窟の仲間に説明しても、だれもまともに話を聞いてくれませんでした。

大体の内容はこんな感じではなかったかと記憶していますが、唯物論者の世界観とは、まさに洞窟の暗闇の中という限定された空間の中で自分や世界を認識しているのです。

真実の人生観、霊的世界観を知るということは、人間の精神性を高めるうえできわめて大事なことだと思います。

トルストイの『人生論』という書物には次のように書かれています。
「人は理性の意識と、動物的自我をすっかり混同している。しかし、動物的な自我の欲求をいくら満足させたところで、人は幸福にはならないし、したがって生きることにもならないと、理性の意識はくり返し人に教えた〜」
「理性の意識がない動物にしてみれば、本能を満足させ、種族を絶やさぬよう、子を残すのが生活の最高目的なのだ。ところが人間になると、そうした動物的な自我は生存の一つの段階にしかすぎない。その一段上に、動物的な自我とは一致しない人生の真の幸福が認められるのである。」

感覚器官で確認できる世界は、無常であり過ぎ去っていくものです。
目に見えない霊的世界を信じ、主を信じることが人間として生きていく上で最低限の条件であると思います。

人間には信仰の本能があると教えられていますが、人間としての存在が認められる条件はやはり信仰心をもつ、目に見えない尊い存在を信じることだと思います。

カルバンは信仰に対する問答で、洗礼をうける正しい態度とはどんなことですかという質問に、「それは信仰と悔い改めとにあります。」と答えています。

正しい信仰をもつこと、また、主の教えを信じることで自分の過ちを反省し悔い改めることができるようになります。

信仰心がなければ悔い改めの気持ちが湧いてくることはないでしょう。
動物的な生き方、勝つか負けるか、損か得かという精神性のかけらもない泥沼の世界に入り込んでしまいます。




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posted by ガンちゃん at 18:08 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする