2018年03月05日

主は真理を自分の言葉で伝えよと言われた コピペは自分が責任を取らない無責任行為

主は真理を自分の言葉で伝えよと言われた コピペは自分が責任を取らない無責任行為


自分が読んだこともないような本を果たして 紹介できるでしょうか?
空海の著書「秘蔵宝鑰」「般若心経秘鍵」「秘密曼荼羅十住心論」等どれも読むのに非常に苦労します。

それを読んだことがない人が、空海の宣伝ができるのでしょうか。
読んだことがない人が、コピペの技術を使って空海の何を伝えることができるのでしょう。

読んだことがない人に空海の何がわかるというのでしょうか。
非常に軽薄です。

コピペしかできない人はよくこのように言います。
「自分の言葉で伝えると真理を間違って伝えることになる。だから、真理を正しく伝えるためにコピペしています。」と

このような言葉はいいわけ以外のなにものでもありません。
間違わないように勉強すればよいだけのことです。

情報だけを流して、それに対して批判が来ても何も答えることもできません。
反論することすらできません。

それはそうでしょう。

自分では何も考えないで、情報源にちょっと顔を出して、記事をコピーしてくるだけですから。

あらゆるところから情報を仕入れて、許可なくコピペして、批判が来たら知らないふり。
非常に無責任な態度です。

このように書くと一部の会員は左翼のようなことを言います。
「会員同士仲良くやればよいのに。会員同士で批判しあってどうするの」

しかしその考え方は正反対の意見ではないかと自分は思います。
内部の会員同士でこのような不正を許しあって、外に向かって何を伝えるのでしょうか。

内部の会員同士が間違ったことに対して、なぁなぁな態度でやり過ごしてよいのでしょうか。

何年何十年と信者をしていながら、自分の言葉で真理を全く語れないとはどういうことでしょうか
もし、総裁先生が「コピペでもなんでも真理が広まればそれでよい」というのであれば良いでしょう。
しかし、主は、自分の言葉で述べ伝えよと言われました。
それは、真理を広める過程で、自分自身の修行にもなるからです。

もし、すべての人が真理を自分の言葉で伝えることができないから、「この本を読めばわかるでしょう」とか、「情報は私のブログに貼り付けますから、わざわざリバティウェブに行く必要がありません。みなさん私のブログに訪問すればすべて張り付けてあります」となったらどうなりますか。

ご本人の修行もゼロと言っていいでしょう


因みに、私は基本的に人を批判したりしません。それは、信者や職場の人など私の周囲にいる人たちは知っています

しかし、明らかに間違った行為を確信犯的に継続しているような人には、自分の考えで記事を書くようになるまでは、同じ信者として注意していきたいと考えています。

次は名指しで注意します。




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posted by ガンちゃん at 19:04 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

単なる歴史好きは唯物論に陥りやすく歴史を動かす世界精神が理解できない

単なる歴史好きは唯物論に陥りやすく歴史を動かす世界精神が理解できない

歴史を学ぶときに大切なことは、歴史の事実を時系列的に学ぶだけではなく、歴史を動かしている精神を知ることが大切であると考えます。

歴史を教科書的に表面だけで理解しようとすると、神の存在など関係ない唯物論的歴史観に陥ってしまいます。

歴史を動かしてきた精神は、宗教や思想によって人類を導いてきた神の見えざる手です。
ですから、正しい歴史認識を得るためには、宗教や思想、哲学を正しく認識する必要があると思います。

キリスト教を知らずしてヨーロッパの歴史は正しく理解できないでしょう。
塩野七生さんは、ローマ人の物語など多くの歴史書を手掛けています。
私も大変参考にさせていただいていますが、塩野七生さんのイエス・キリストに対しての認識にはがっかりしたことがあります。

キリスト教がヨーロッパに広がったり理由の一つが復活現象です。
キリスト教の愛の教えに普遍性があり、多くの人達の心を救ったことは歴史的事実です。
そして聖書にはイエス様が十字架で磔にされて以降、復活した姿を500人以上の人が目撃したことが書かれています。

復活したイエス様は、弟子の前にも姿を現しています。

聖書には以下のように書かれています。
『復活したイエスが弟子の中に入ってきて「安かれ」といわれた。
そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。
弟子たちは主を見て喜んだ』


「イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」

イエス様は復活したのち、天に昇天したと書かれています。

塩野さんは、もし、イエス・キリストの骨が見つかったら、キリスト教の歴史がひっくり返るというようなことを述べています。
おそらく、聖書に書かれていることが事実であるとすれば、復活したのち天に昇天したはずのイエスの体(=骨)が地上に残っているわけがない。あるわけのない骨が見つかれば、それは聖書の記述が嘘であると考えたのでしょう。
そして、ローマが滅びた理由は、キリスト教がローマに広がったからだと述べています。

唯物論的解釈だと自分は思います。
イエス様の骨が見つかれば復活したのちに天に昇天したという記述が嘘だと考えるのは本人次第ですが、キリスト教を否定するということは、キリスト教とともに歩んできた、ヨーロッパの歴史を否定していることと同じであります。


唯物論的概念を持った歴史家がジャンヌダルクの歴史を書くと、ジャンヌダルクがアマゾネスと一緒のような書き方をされます。

奇跡の部分をすべて削除し、自分のわかりえる範囲の具体的な事実だけを述べて終わりです。
ジャンヌの崇高さや、天使の存在を現代の価値観を基準にしてすべて削除するか、ジャンヌの妄想のようなとらえ方をします。

具体的事実だけを述べる科学的?歴史認識などあまり必要性を感じません。

ジャンヌダルクの『処刑裁判』『復権裁判』を読むと、ジャンヌの崇高さがよくわかります。

ジャンヌダルクは明らかに神の絶対精神を担い、世界計画を体現した世界精神です。

また、中世を暗黒時代という現代の歴史観をそのまま信じているような人もいます。
中世がなぜ暗黒時代であるかというと、キリスト教社会のなかで魔女狩りや異端審問などにより、多くの犠牲者が出てしまいました。
これは、キリスト教社会における無知な民衆による悲劇という形で現代の日本人は理解しているかもしれません。
しかし、このような認識は表面だけを見て、精神面からの考察が全くなされていません。

先ほどのジャンヌダルクやアウグスティヌス、トマス・アクィナスなど、中世にも間違いなく、神の世界計画、絶対精神が息づいていました。

また、ダンテの『神曲』のように現代にも読み継がれている名著もあります。

このように歴史を表面的にしか理解できないと、人類の歴史は戦争の歴史という認識あたりに落ち着いてしまいます。

地球の歴史は循環文明です。
「栄・枯・盛・衰」がセットになって繰り返されて人類は進歩していくのでしょう。
ある文明が滅びるということは諸行無常を感じますが、ヘーゲルによる歴史認識ですと、それは必然になります。
ギリシャは哲学的にも芸術的にも発展繁栄した文明でしたが、やがて衰退していきます。
しかし、その精神はローマに引き継がれ、ローマの中で生き続けていました。
そして、キリスト教がローマの国教になります。
やがてローマも衰退していきますが、ローマに広がったキリスト教の教えは中世ヨーロッパに確実に引き継がれました。

文明が未来永劫続くことが人類にとっての幸福かといえばそうではありません。
やがて、停滞をうみ、人類は堕落へと向かうことでしょう。

文明の衰退は衰退の為の衰退ではなく、新しい文明が立ち上がるための生みの苦しみでもあると思います。

細かい枝葉的な事実よりも、世界を動かす本質的な部分を読み取らなければなりません
世界の歴史は、宗教や思想が先導役になり、けん引力になってつくられていきます。



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posted by ガンちゃん at 23:13 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする