2023年09月14日

認識論 認識によって天国・地獄にわかれるのです

認識論は難しいと思います。
しかし、ここを通過しなければ、人間の本質や霊的世界を本当の意味で知ることはできないかもしれません。

仏教的な認識論と言えば十八界だと思います。

仏教的認識論

十八界

眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と感覚器官の対象に対応する

色・声・香・味・触・法の六境

感覚器官と対象の関係を認識する

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識

これらの関係を十八界と仏教では読んでいます。

感覚的なものは、過ぎ去るものであり、無常であります。

無常ということは、存在の中に滅びを内包しているということです。

肉体に基づく感覚器官と、感覚器官に対応する対象をどのように認識するかによって天国に行くのか地獄に行くのか決まってきます。

次に神智学的な認識論です。

人間の行動の本質を、思考の根源から問い直そうというのが、神智学における認識論だと思えます。

「動物にも備わっている魂を、精神に作り変えるのは思考の働きである。」
とヘーゲルは述べています。

それほど思考というものが、人間にとっての本質そのものであるということなのでしょう。

我々の前に事物が謎めいて現れてきます。

それは事物そのものの成立過程に立ち会っていないからです。

思考を通して初めてその成立過程を考察することが出来るのです。

神智学における認識の出発点は思考であり、理念や概念からではありません。
理念や概念は思考を前提として初めて獲得できると考えるのです。

私たちは、観察を通して知覚内容を得ることができます。

しかし、その知覚内容は、無秩序でバラバラな混沌の状態です。
そのバラバラな知覚内容を統一的にまとめ上げるのが思考であるのです。

知覚内容は思考を通して概念と結ばれます。
概念から照らされる光によって初めて知覚内容に意味付けがされるのです。

しかし観察による知覚内容が増えるに従って、初めにあった知覚内容と、概念に矛盾対立が生じてきます。

知覚内容の範囲が広がるにつれて、これまで信じていた世界像を訂正しなければいけなくなります。
新たな知覚内容に対して、今までの概念では意味付けができなくなり、自分の内に対立が生じてきます。

この対立、矛盾を克服していくことによって新たな概念が形成されるのです。

対立矛盾を止揚統一していく過程こそ魂の進化なのだと思います。

このように弁証法的な過程を通してより高度な概念が形成されいきます。
知覚内容は概念によって助けられ、概念は知覚内容によって高度化していくのです。

ところで、観察による知覚内容が変化するのはなぜだろうか?
我々は対象を観察する際に感覚器官を通して知覚します。
しかしこの知覚内容は、身体器官の性質に依存した形で知覚されるのです。

目の器官、耳の器官は複雑な機能をしている為、神経を通して脳に伝わる間に情報が変化してしまいます。
ですから対象をありのままに見ているとはいえないのです。

例えば、色が赤に見えるのは、目の器官の性質によります。
感覚器官から得られる知覚内容は、身体の性質に依存している為、事物の本質を見ているのではなく、対象と感覚器官との関係を認識しているにすぎません。

先ほどの仏教の認識論における十八界と同じです。

また、感覚器官は不完全な為、総体の中の一面、断面しか確認できないのです。
感覚器官でとらえる現象は、変転変化するために、限られた時間内でこれが真実だと認識してしますのは過ちの原因になります。

例えば、種から芽が出てやがて花が咲きますが、種だけを見てこれが花の本質だと認識したとしたら大変な間違えでしょう。

一定の時間の枠内で、その対象の姿が真実をうつしていると見誤ってはなりません。

知覚内容は思考を通して概念と結びつけることなしに、本当の意味で現実を認識することはできないのです。

花の概念を認識するには、まず花の知覚内容を持たなければなりません。

その後に概念の総体の中から特定の概念を取り出してきて、知覚内容に意味付けを与えるのです。


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posted by ガンちゃん at 02:57 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月10日

新築の家を建てるには老朽化した家を取り壊すしかないのか

例え話をします。

ある家族が、家を建てかえるかどうか考えています。

現在の家は老朽化が進み、ライフスタイルに合わなくなってきたからです。

その夫婦には一人息子がいます。

この息子は、わがままで享楽的な人生を生きています。
父の言うことなど聞かず、わがままし放題な息子です。

ある時、家族会議で現在の家を改修工事で補修するか、家を取り壊して新築の家を建設するか議論していました。

古い家は改修工事では追い付かず、思い切って新しい家にしようと提案する父。

しかし、わがままな息子は家を取り壊し新築の家を建てるまでの間、東京を離れることになるので反対します。
都会を離れると、遊ぶことができなるからというのが理由のようです。

父は息子を説得するのですが、言うことを聞かないのでその息子を残して、工事が終わるまで地方で暮らすことにします。

ある時、父の言うことを聞かずに古い家にいて享楽的に生きていた息子は解体工事がはじまったのでびっくりします。

父の忠告や教えを聞かず、肉体の楽しみにふけっていた息子は、古い家から追い出され、困惑しています。

父に連絡が取れず、一人で彷徨うことになります。


当然ですが、古い家が解体され、新築の家が建つ前段階で家の設計図は完成されています。


設計図が決まっているからこそ、古い家は解体され新しい家を建てることができるのです。

終わり

このたとえ話が意味するところは、

古い家とは現代の文明を指します。
老朽化が進みということは、世界各国で唯物論が蔓延し神を信じない人達が増殖しているということです。


父とは、イエス様が天の父といわれた、主・エルカンターレです。

息子とは、主の教えに耳を傾けない日本人です。
宗教を馬鹿にし、肉体を喜ばす方向で幸せをつかもうとする堕落した人類というとこでしょうか。

新築の家の設計図とは、主が説かれた仏法真理を意味します。

つまり、

新しい文明をつくるためには、現在の古い文明を壊さなければならないのだろうか。

改修工事で追いつかないほど、家の老朽化がすすんでいれば、取り壊すしかありません。

すでに法は説かれていますので、この仏法を広めない限り、老朽化した文明は解体工事される可能性があります。


現代は最大のピンチであると同時に最大のチャンスでもあると思えるのです。






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posted by ガンちゃん at 01:46 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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