2017年12月10日

まだ私たちが知らない愛があるかも・・・

まだ私たちが知らない愛があるかも・・・

「宇宙は神の愛によって創られたのです」
この言葉には、非常に大切な意味が含まれているように思えます。

宇宙の存在そのものが神の愛によるのであれば、すべては愛の一形態であるということでしょうか
様々な愛の在り方がありますが、すべては神の愛の部分を表現しているのでしょうか

愛の本質とは何か考えてみますと、上記の言葉から推測されることは「愛」とは根源のエネルギーではないかと思えます。
光と言い換えてもよいのですが、根源の神より流れてくる光エネルギーが高次元より流れて各次元の存在をあらしめているのかもしれません。
高次元から流れてくるエネルギーは神の慈悲であり、私たちの立ち位置からみると時間と呼ばれているものに対応しているかもしれません。
ですから、神の愛あるいは慈悲が流れなくなったとき、私たちは消滅してしまうでしょう。
私たちの魂が永遠不滅ということは、仏・神の慈悲によって生かされているということです。


ところでサタンといわれる存在たちはキリスト教の殉教が理解できず、彼らの立場から見れば気がくるっているとしか思えないようです。

殉教に込められている意味とは何なのでしょうか
それは、自滅覚悟による突進行為とは違うはずです。

自分の肉体生命より他者に対しての愛の思いが強いからこそ命を惜しまない行為、それが殉教なのだと思います。
愛の行為は勉強だけでは理解できません。
どうしても実践行為が伴わなければ、真実、人に対して優しくしなることはできないでしょう。
なぜなら、人は自分の苦しみや悲しみを通して相手の心の痛みを理解するからです。
スポーツでも格闘技でもなんでもそうなのですが、練習と実戦は違います。

いくら練習で空手の突きや蹴りを練習しようとも、実戦では相手も自分を攻撃してきますから練習通りにはいきません。
もちろん真理の探究・学習は大切です
これは人間としての基礎になるでしょうから、より正しく理解することが大切です。
しかし、実戦は学んだ通りにはいきません。
与える愛が大切であるといっても、最初からつまずいてしまいます。

生かす愛を学んでも,実戦で学んだ知識を愛に変換して行動に移せるかと言ったら、まず難しいでしょう。
イエスさまは、「汝の敵を愛し、迫害するもののために祈れ」とおっしゃいました。
はたして汝の敵を愛せるでしょうか。
この場合はまた、別の要素として善と悪の問題も含まれてくると思いますが、実戦を通さなければ、敵を愛することなど無理であると思います。

善悪を学び、相手が悪と思える中にも仏性を見ることができたとき、許すという気持ちが起きてくるのかもしれません。

悪い行いは、正義という観点からあるいは善悪の価値判断によって正していかなければなりませんが、一般的に悪い人間といわれるような人であっても仏性までは否定しないという考え方が大事なのでしょう。

相手の考えや行動が理解できないという点において、誤解や憎しみが生まれてくるのでしょう。
ですから、相手を理解しようとする努力が大切なのだと思います。
それには、多様な真理を学び相手の心理状態や心境、考え方を瞬時に理解する認識力が必要かもしれません。

イスラム教とキリスト教がお互いに敵同士だと考えている理由は、神の教えを正しく受け止めることができない人間側の理解の不足であるといわれています。

愛はすべてを一つにするというのであれば、宗教同士の争いを乗り越える懸け橋となるのが愛であると思います。

愛をどれだけ深くつかみ取ることができるかが、人間に与えられ目指すべき方向性であるということなのでしょう。


宇宙は神の愛によって創られたのであるならば、まだ、私たちが知らない愛の存在形態があるのかもしれません。


ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 10:16 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

自分の心の傾向性から過去世を推測する

自分の心の傾向性から過去世を推測する

黄金の法という書物「エルカンターレの歴史観」があります。
西洋・東洋・日本と過去の偉人たちの活躍と転生輪廻の過程が書かれています。

ヘーゲルはギリシャのプラトンの生まれ変わりで、プラトンはイデアこそ真の実在と述べています。
プラトンは、霊的な世界について確実に知っていました。
「パイドン」という著書には、体験しなければわからない霊的世界の真実が書かれています。

ところが観念論哲学のヘーゲルとして生まれたときは、直接的な霊的能力で真理を明らかにするというより、近代の要請にこたえて、合理的、理知的に語ることが主眼であったと教わっています。

ヘーゲルはギリシャに強い憧れをもっていたことは有名です。
ギムナジウム時代にヘーゲルは、ギリシャ文明、特にギリシャ悲劇にたいへん心を惹かれていたそうです。このことは最後までヘーゲルの心に残っていて「ギリシャという名を聞くと、教養あるドイツ人には故郷を思わせられる気がする・・・このヨーロッパに現にあるもの、学問と芸術、すなわち、およそ我々の精神生活を満足させ、向上させ、美しくするものはすべて直接、あるいは間接的にギリシャから得ている」と述べています。

ヘーゲルという名で生まれた時代の人生には、ギリシャ時代の過去世の影響が少なからず出ているのが分かります。

また、カントは『実践理性批判』のなかでこのように述べています。
「何か良いことをするとき、その背後にある自分の感情(表面的に良いことだからとか、自分がほめられたいため等)があったら、その行為は、事実上、正しいという意味で合法的であっても、道徳性がない」とされました。
つまり、道徳性のある行為とは、道徳律に基づいてなされる行為です。
道徳律とは、「汝はそうしなければならない。だから、そうすることができる」という理性的な命令であり、人間の義務としています。
カントの過去世は、旧約聖書にある預言者ダニエルで、ユダヤ人の戒律的な考え方の影響が義務というかたちで、現れているのかなとも思えます。

他にもたくさんの例がありますが、現在の実人生を生きていくにあったって、相当、過去世の考え方や、傾向性などを引き継いでおり、影響されていることが分かります。
しかし、今回の人生でできるだけ、良い方向に魂の傾向性に修正をかけ、真実の人生観を獲得し具体的に実人生にいかしていきながら、ユートピア建設を目指すことが信者としての義務だと思えます。

自分の傾向性から過去世の自分の姿を想像するのも、幸福の科学の教えならではだと思います。
ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 02:05 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする