2018年04月04日

魂の表現形式である肉体

魂の表現形式である肉体


母親のおなかの中で胎児が育つにあたって、やがて数ヵ月後に魂が肉体に宿ります。
母親がこの世的な価値観に染まり、唯物的な思想に毒されると、天上界から降りてきた子供の魂と波長が合いませんから、悪阻という現象がおきます。
新しく体内に宿った魂の波動が、母親の肉体の波動を乱すので吐き気がします。

魂の波動が肉体を形作る鋳型の役割をして、人間としての形状をつくりあげていくと考えます。

すべてではありませんが、原因不明の病気などは自虐的な表面意識の考えが、潜在意識に信号として送られ、受け取った信号にしたがって潜在意識が、肉体をつくり始めるのからではないでしょうか。

シュタイナーは自伝で「霊的個性は、物質としての肉体や物質界における行為に現れているにすぎなかった」と述べています。
霊の個性は、肉体を通して表現されているということでしょう。

また「思考活動とは、霊界における魂の経験が、人間の肉体中に入射して反射したものであると次第に考えるようになった」と書かれています。

入射角と反射角は等しいですから、結局、霊界における霊的存在としての自己の体験が、肉体に宿ったときにその人の先天的(アプリオリ)思考形式になるのでしょう。
ですから、同じ環境で育った兄弟であっても、霊界における魂の経験に違いがあるので、個性や考え方が違うのです。

霊界は思いと行動が対応関係にあり、考えが行動になります。
肉体は鏡のようなもので、霊界における経験が思考内容となり、肉体を通して反射されるということです。

肉体と通して現れる行為や言葉、顔の表情や目などは、魂の個性を表現しています。

人間は死んだ後、肉体が急速に崩壊していきますが、それは、魂が肉体の崩壊をくいとめ統一的にまとめあげているからです。

潜在意識は肉体をつくりあげていますから、病気なども信仰心をもって感謝の気持ちを忘れることなく明るい気持ちを持っていれば、それが潜在意識に働きかけて、病気が治るのかもしれない。

霊と物質は同じものの現れ方の違いです。


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2018年03月24日

ヘレン・ケラーの信仰心 霊的体験によって神への信仰に目覚める

ヘレン・ケラーの信仰心 霊的体験によって神への信仰に目覚める

ヘレンが12才の頃、歴史書を点字で読んでいたヘレンは魂が肉体から遊離する幽体離脱を経験します。

そして彼女は「霊魂は時と場所、肉体的な制約を受けない」事をハッキリと認識することになります。この新しい霊的知覚能力で、彼女は神の存在を確信するとともに、神に対する探究心が目覚めたのだと思います。

そして、この能力がきっかけとなり、聖書への探求を深めようとします。
しかし、そこに神々しい存在が感じられず(おそらく旧約聖書のことだと思います)、信仰心が揺らいだようです。

しかし、ヘレンはジョン・ヒッツという人物に出会うことになります。
ジョン・ヒッツが信奉していた思想家あるいは哲学者こそ18世紀のスウェーデンボルグです。
ヘレンは、ジョン・ヒッツ氏を通じてスウェーデンボルグの存在を知ることになります。

ヘレンは、ヒッツ氏からスウェーデンボルグの点字本「天界と地獄」を渡されます。
この「天界と地獄」という書物によって、ヘレンの信仰心に火がつきます。

この「天界と地獄」には、興味深い内容が書かれています。
『天使と悪魔は存在します。それは性別の無い存在ではなく、来世の人間の姿』でもあるのです。
地上に生まれた人間の生き方によって、天使になる可能性があると同時に地獄の悪魔になる可能性もあるのです。

イエス様は「その木がどんな木か知りたければ、その実を見ればよい」と言われました。
これは、原因・結果の法則、縁起の理法をたとえ話で語られています。
天国に行けるか地獄に落ちるか(結果)は、地上での生き方(原因)にかかっています。

ヘレン御本人が自覚されていたかどうかは別にして、肉体に基づく感覚器官が閉じたことによって沈潜していた内的な霊性が、顕在化していたのかもしれません。

通常の健常者の人達に比べて、魂の感覚が鋭敏であったのかもしれません。
魂の感覚で神の存在や、霊性を身近に感じていたように思えます。

人生とは、一つの扉が閉じられても、また別の扉がひらくもの―

自分にとって不利だと思える条件が、実は別の方向で有利に働くことがあるのかもしれません。


信仰に目覚めたヘレン・ケラーの山上の垂訓です。

私は信じます。
私たちの主の教えに従うことにより、この世に生きられるのです。そして、主の「汝の隣人を愛せよ」という言葉に従えば、この上ない幸福が世に訪れるのです。

私は信じます。
人と人の間に起こる問題はすべて宗教的な問題です。そして人間社会に起こる過ちはすべて道徳的過ちです。

私は信じます。
私たちは神の御心を成し遂げることにより、この世に生きられるのです。天国において神の御心が成し遂げられるように、地上においてもそれが成し遂げられる時、誰もかれもが人間を自分たちの同胞として愛するようになり、自分たちにしてほしいと思うことを、人に対しても行うようになります。お互いの幸福はすべての人の幸福と密接につながっているのです。

私は信じます。
人生は私たちが愛を通して成長するためにあるのです。そして、太陽が花の美しい色彩と香りのなかに存在するように、神が私の中に存在するのです。神は私の暗黒を照らす光であり、私の沈黙に呼びかける声なのです。

私は魂の不滅を信じます。
それは私の内部に不滅への憧れがあるからです。私たちが死んだ後に訪れる国は、私たち自身の動機、考え、行いからつくり出されたものに違いありません。

私は信じます。
あの世では、私がこの世で持っていない感覚が得られるのです。そしてあの世で私の住む家には、私の愛する花々や人々が織りなす、美しい色彩、音楽、言葉が満ちています。




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posted by ガンちゃん at 12:09 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする