2017年04月17日

空の世界と人品骨柄

空の世界と人品骨柄


維摩経には、このような内容が書かれていたと思います。
菩薩に降りかかった花は、地に落ちましたが、大声聞たちに降りかかった花は身体にくっついて地面に落ちません。
神通力を振り絞ってこの花を地面に落そうとしても落ちません。そこで天女が大声聞に「その花を振り落としてなにをなさるのですか」と質問します。
大声聞は、「天女よ、これらの花で飾ることは、出家の身に相応しくないことですから、取り去ろうとするのです」と答えます。
そこで天女は、「この花は法にかなっています。この花のほうでは考えたり分別したりしないのに、大声聞こそが思慮し分別するからです」と答えています。

花のほうでは出家者と在家者などと分別していません。この二つの世界を区別しているのは大声聞の判断(分別)であり思惟です。

自分自身は気づいていないとしても、どこかに自惚れの心があれば、それは外に必ず表現されます。
持続して考え続けていることは、自然にその人の人品骨柄を表していきます。

仏教的世界観では、感覚的なものは幻であるという見方(空観)がありますが、その中で人は、何を善と考え何を美と考え、どのような価値観を持ち続けるかによって、人柄を形成していくと思います。
その様な意味で、考え(あるいは思い)こそ、私自身であると言えます。

仏教的な空の世界観は地上に対する執着を断つという意味で大切な考え方であると思います。

過去・現在・未来を通して恒常であり、それ自身として他のものに依存することなく自立的に存在する本体とは、人間の思惟の世界における概念としてしか存在しません。

現に存在するものは、各瞬間に変化する無常なものであり、他の多くのものを原因として、他のものに依存してのみ現象する、他律的なものであります。

空の世界観を深いところまで認識できなくても、知識として知っているだけで、慢心したり自惚れたりする気持ちを断つことができるかもしれません。

仏典に書かれていますが、あらゆるものには本体がなく、その意味で、ものは空です。
幻術師がつくり出した幻が、どれほど大きな光景であり、千変万化しようとも、本体としては存在しないのと同じであります。独自の性質を持たない無自性なものです。

しかし、すべてのものが『空』であるからといっても真理は実在です。

仏典から引用すれば、「教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり、教えの妙味はすべての味にまさり、教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。妄執をほろぼすことはすべての苦しみに打ち勝つ。」と書かれています。
真理を伝えることは、すべてにおいて善であります。

目に見えない真理を伝えるとういことは、自分自身の人格を向上させていくことでしょう。

自分の話を聞いてくれて、相手が真理の世界に入るきっかけになったのであれば、自分自身もうれしいものです。

自分自身の考え方や価値判断が、やがて魂の傾向性になっていくでしょう。
持続的に考えていることは、その自身の人柄としてあらわれて他の人に影響を与えていきます。

空の世界観を受け入れ執着を断ち、真理をまなび続けることで、人柄がよくなっていくことでしょう。
それは、周りの人に良い影響を与えることができるということです。




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2017年04月10日

地球人の身体構造と霊流及び動物型宇宙人の関係について

地球人の身体構造と霊流及び動物型宇宙人の関係について


人間は生まれる前に両親を自分自身が選んでくるといわれています。
人智学のシュタイナーも、人間は両親を選んで生まれてくるという見方をしています。
つまり、子どもの魂は地上に生まれてくる前に、自分の素質を生かすのに相応しい身体を提供してくれる男女を選んで生まれ変わってくるということです。

しかし、シュタイナーは親が提供しれくれる身体は、完全に魂と一致するわけではないので、徐々に自分の魂の傾向性に合った身体に作りかえていくと述べています。

生まれてから約7年間は生命エネルギーが身体形成に使われるので、この時期にこの霊的パワーを知育に用いると、あるいは、知育教育の比重がたかくなると虚弱体質になってしまうとのことです。

幼い時の記憶がないのは、思考に使われるエネルギーが、身体形成に使われるためであると考察しています。


今日の科学が主張しているような意味での遺伝は、生まれてから7歳ぐらいまでに当てはまると言えます。
そして、7年を過ぎたころから、自分の魂の傾向性にあった身体に作り上げていきます。

ですから、生まれてくる子供の魂の傾向性(周波数)と両親の傾向性(周波数)がある程度、同じでなければ、魂が身体に宿ることは難しいのかもしれません。

子供の身体は生まれてから数年間は、親の遺伝の影響が大きいのですが、それ以降は、本来の魂の傾向性にあった身体を作り上げていくということです。

更に、人間のなかでは、動物が有する特性が少しずつ総合的に調和されて流れているといいます。

人間は動物が持っているすべての特性を少しずつ持っているとはどのような意味なのでしょうか

虎には残忍さがあります。
人間は虎ほど残忍であるとはいえませんが、いくらかの残忍さがないとはいえません。
人間はライオンほどの威厳はないかもしれません。
しかし、いくらかの威厳はあるといえます。

人間はあらゆる動物の特性を総合的に含んでいます。
動物界は拡散された人間であり、人間は収斂された動物界であると言えるかもしれません。

しかし、その人間の身体に宿る精神、魂は、その総合的動物の特性を乗り越えて高次なもの、あるいは神仏をもとめるように創造されていると思います。
人間の尊さは、総合的動物の特性をもつ身体の支配を振り切って、精神的なものに目覚め、神性あるいは仏性を輝かせることができるという点にあると考えます。

ところで、宇宙人の種類には、地球に生息する動物型や爬虫類型等が多いことに気づきます。
この事実をもってダーウィンの進化論など、子供だましであることがわかるのですが、なぜ、地球に生息する動物等に似ているのか不思議に思っていたのですが、単純に考えて結論付けると、地球に存在する動物は、はるか太古に宇宙から飛来した宇宙人が地球において退化し、現在に姿になったと考えることができます。

そのような宇宙人の特性を総合的に内包し、調和している姿が、地球的人間の姿かもしれません。
もちろん、主が人類を創造されたのですが、総合的に調和され進化した姿が人間であるという可能性もあると考えます。

先ほど、魂が肉体に宿るには、ある程度傾向性が一致していなくては難しいのではないかという仮説を立てましたが、現在、宇宙人が人間の身体に宿る(この場合、地球神の許可が必要)、あるいは、ウォーク・インできるということは、地球人の身体の特徴が宇宙人の魂の周波数と許容範囲内で一致しているからではないかと思われます。






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