神をファーザーと呼んだのは、イエス様が最初であると思います。
人格神で自分より上の存在がいることを認めています。
イスラム教のムハンマドは、アッラーという名で、自分より上の神を呼んでいます。
仏教のお釈迦様だけが、『天上天下唯我独尊』
だと言われています
他に指導されているものはなく、自分が悟りを開いたら、宇宙の根本の悟りにつながっているという考えであり、上なる神がいないと言っています。
ただ、他の世界宗教では、上にもう一人いると明言しています。
フィリピンでは、
「イエス様が、天に父がいると言っている。それがエル・カンターレです。その人を信じなさい」
ということで伝道が完了しています。
伝道は信仰心を持ったかどうかで契約ができてしまうと思われます。
日本は、あまりにも疑いの心が強すぎます。
宗教に対して目に見えないバリアがあって、宣伝、伝道の応援はしませんと邪魔している感じでしょうか。
これは洗脳と同じでしょう。
日本の文化の中で、『信じる』という文化がかなり落ちています。
先の戦争の結果もあるのかもしれませんが、戦前は天皇を現人神と言っていたし、一定の身分のある人を神として祀るのに躊躇がなかった国であったはずです。
今は、お寺のお坊さんも、あの世の事がよくわからないで法要をしているし、神社もご神体を祀っていますが、神様が何かよくわからない状態です。
古事記・日本書記でも、神代の時代と人間界の関係がよくわからないようです。
宗教を信じていないと人間ではないという扱いを受けるのは世界の常識なのに、なかなか日本では宗教が浸透しません。
日本人は変なところが複雑すぎます。
被害意識や劣等感を持ちすぎている感じも受けます。
他の国に比べて思っていることを言わない国。
信仰は単純なもの。
「主エル・カンターレを受け入れることで謙虚にもなり、文化的にも発展する」という考えを受け入れるか。
それとも、この世は人間の営みしかないとするか。
これが天国と地獄の分かれ目になります。
この世的幸福も大事だが、死んだ後の教育がないので、日本全体のスタンダードになるものを提供することが必要です。
今、一番その立場に立てるのは、幸福の科学だと思います。
日本は、現時点では基本的に宗教を尊敬していません。
しかし、宗教は人間の最高を目指すもの、神仏に近づいていこうとする考えです。
これを見下すとは傲慢にもほどがあるのではないでしょうか。
日本は疫病神、貧乏神、妖怪が取りついている状態。
これらをたたき出す運動を起こすのは相当大変なことです。
「宗教を信じるものが尊い存在である」という自覚を持つことが大切だと思えます。
この世の利害を度外視して、純粋に考えられる人間を作っていくことが大事なことだと思います。
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