信仰心に関しては過去の偉人達が、いろんな考えを残してくれていますが、幸福の科学の信者であれば
「エル・カンターレを信じている人」という定義になるのではないかと思います。
正法が説かれる時、魔も競い立つといわれています。
生きているときに、目に見えるものしか信じることができずに、肉体を喜ばすことのみに生きていた人が、死後地獄に落ち苦しさのあまり生きている人間に、同じような心の波長の人に憑依し、地獄に引きずり込んでいきます。
では、地上において主を信じている信者のあるべき姿とはどのようなものなのでしょうか
過去の偉人たちの言葉を参考にさせていただきます。
内村鑑三氏の一日一生という書物には
「信仰告白はもちろん、言葉をもってするのみが唯一の告白ではない。
行為をもってする告白は言葉以上である。」
と書かれています。
主を信じるということは信じたことを、言葉や行為で証明しなければ地上は変わっていきません。
また、信仰をもつ者は、三次元的にも理性的・知性的になれるための努力が必要です。
霊的なものだけに振り回されずに、知性や理性をもった上で目に見えない霊的世界に踏み込んでいくことが、魂の修行にとって大事なことかなと思います。
先の内村鑑三氏の言葉を借りれば、
「感覚のみによる宗教は迷信に走りやすい」
「霊を解放されし者はまた知能をも開発せらし者なり」
といわれています。
現代は、信仰するということがとても難しい時代なのでしょうか。
人間は、普通に生きているだけでは肉体の欲望に引きずられていきます。
天使の存在も、神の存在も感覚器官を通して知ることができません。
地上は信じない力の方が強いのです。
ですから、エルカンターレ信仰を守るため、自分自身が強くならなければなりません。
そして、エルカンターレを信仰している人たちの姿が、多くの人の見本になれるように努力することが大切であると思います
愛も信仰も同じように、日々ささやかな勤行によって維持されます。
日々努力の積み重ねが大切で、その積み重ねが信仰心をより強くしていくのかなと思います。
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