社会主義思想が登場する以前は、どこの国でも私有財産は至上の価値があるとされていました。
国家が私有財産を没収するということは、よほどのことがないかぎりありえませんでした。
富や財は良きものであるという東西の常識を変えてしまったのが、社会主義思想・共産主義思想であります。
19世紀頃に始まった産業革命よって、世界中に貧民層が生まれてしまいます。
それによって、資本主義が進めば進むほど貧富の格差が広がってしまうと思われてしまいました。
そのような時代の流れの中で、私有財産は悪という社会主義思想が正しいと思われてしまいます。
1917年にロシア革命によって世界に初めて社会主義経済、私有財産や相続権を否定する国が誕生したのです。
ロシア革命では、ロマノフ王朝の皇帝一家は一人残らず殺されてしまいます。
皇帝の馬まで殺されたというのですから社会主義は恐ろしい思想であると思います。
20世紀の文明にあって、国の皇帝が皆殺しにされるということはかつてなかったことです。
日本は皇室を尊敬する国でありますので、共産主義とは、このような恐ろしいことをする人達かとおそれおののきました。
1925年に治安維持法が制定されたのも、根本にはこうした恐怖心があったようです。
渡部 昇一氏参照
ロシアがソ連となりスターリンが、近代軍事力をつくり上げつつありました。
しかも共産主義者がシナ大陸に浸透し、シナ民族の反日思想として結実していきました。日露戦争以降、安定したシナ大陸のおける日本の権益を覆すことはソ連共産党の目的でもありました。
その時スターリンは、「これで日露戦争の仇を討った」という趣旨の発言をしています。
当時の日本共産党はソ連のコミンテルンから「天皇制打倒」という指示を受けていました。天皇制打倒ということは、ロシア革命でいえば、天皇をはじめとする皇族を皆殺しにせよ、ということですので、日本人は日本共産党の目指している天皇制打倒がいかなる意味を有しているかを理解していました。
そうしたなか、私有財産を否定する社会主義思想の登場で、日本やヨーロッパにも大きな影響を与えることになります。
ドイツは第一次世界大戦の敗戦国で経済が乱れに乱れ、ハイパー・インフレーションが起きていました。それに加えてソ連の影響を受けて共産主義勢力が力を伸ばしつつあります。こうした政治的経済的な混乱の中で登場したのがヒトラーです。
ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、国家社会主義を目指した政党でありました。ヒトラーは政権を獲得した後に、社会主義的政策を実施していき、徐々に生産手段を国有化していきました。
一方イギリスでも国家社会主義的な傾向が広がっていきました。イギリスの知識人の中にウェッブ夫妻という社会主義者がいますが、夫妻はロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンスとう学校を創設して、社会主義圏教の牙城にしています。渡部氏 参照
この学校は、社会主義の政策の立案・立法化し、それを行政に実現させうる人材を育成するという明確な理念をもってつくられた学校で、そこの卒業生がイギリスの労働党の知的な支柱になります。
このウェッブ夫妻の活動で、イギリスの知識層がソ連を好意的に見てしまったことは、後の悲劇の原因であると思えます。
さて、戦争で負けた西ドイツは戦前の国家社会主義の反省から、西ドイツ初代首相のアデナウアーは徹底的に自由主義政策をとります。一方イギリスは勝っただけに社会主義思想が残ります。
イギリスは上記で書きましたように、社会主義に対して肯定的に見ていましたから、戦後すぐの選挙で社会主義を奉じる労働党が圧勝し、銀行、石炭、鉄道、航空、電気、ガス等が次から次へと国有化されます。「揺りかごから墓場まで」といわれるような徹底した社会福祉政策が行われていきます。
その結果どうなったか・・・イギリスは国力をみるみる失って、「英国病」と呼ばれるような事態に追いこまれてしまいます。
イギリスが私有財産を否定し敵視する政策を行った結果です。
私有財産を敵視する考えの背後に隠れているのは、嫉妬です。お金持ちを嫉妬し、引きずりおろそうとする考えは地獄界そのものです。
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