私(人間)とは、どのような存在なのでしょうか。
人間の肉体には、永遠不滅の魂、霊魂が宿っています。
霊は、死ぬこともなく生滅することもありません。
しかし、肉体はどうでしょうか。
肉体は、日々変化し病気になり、やがて死んでいきます。
肉体は、有限のものです。
有限である肉体の中に、永遠不滅の霊が同居しています。
私とは、有限の肉体に永遠不滅であり無限に生存し続ける霊が共存しています。
有限と無限あるいは、有限と永遠不滅は絶対的に矛盾しています。
滅びゆくものと永遠不滅のものが、自己の中で一体化しています。
あるいは対立関係にある有限と無限が共存しています。
絶対的に矛盾するものが自己の中で一体化しています。
これが『絶対矛盾的自己同一』の意味かもしれません。
おそらく、西田幾多郎氏は生命をそのように認識していたのかもしれません。
あるいは、私の内面に多様なものが存在するから、矛盾するのです。
多様であればこそ矛盾が生じてきます。
ヘーゲルは、対立矛盾する関係を、一段高い認識力によって統合する弁証法を提唱しました。
仏教的には「色心不二」といわれています。
色(肉体)と心(霊性)は別のようでありながら、一体であり同一であるという意味だと理解します。
しかし、霊的存在を認めようとしない唯物論的科学者は、転生輪廻の主体である霊的自己を否定し、遺伝子が永遠に続いていく主体であると考えているようです。
人類が永遠に続いていく主体とは自己複製子(遺伝子)であると考えています。
利己的遺伝子説では、遺伝子こそ主役であると考えるべきであると主張します。
しかし、遺伝子(遺伝子はデオキシリボ核酸DNAによって構成されます)が本当に私自身であるといえるでしょうか。
人間の本質が遺伝子によるのであれば、愛の気持ち、優しさや悲しみといった人間の尊い感情など起こらないのではないでしょうか
利己的遺伝子の著者は、人間の本質などまるでわかっていないのでしょう。
人間の本質が、永遠不滅の霊だからこそ多様性が大切であるといえます。
多様性には、自分自身にとっての苦しみも含まれていることでしょう。
しかし、多様性(多様なる価値観)は、魂を進化させ複数の喜びをもたらせてくれるでしょう。
現代は、自分の好き嫌いによって(自分にとって)正しいか間違いであるのかの価値判断を下しているようです。
しかし、自分の好きな範囲などしょせん限定的であるのにすぎず、魂の進化は望めないでしょう。
地球という星の特徴として、他の星の価値観が共存していつつも、地球としての仏法真理が確立しています。
多様性こそが複数の喜びを享受することができ、人間の本質としての魂、霊性が進化する為に必要なことであると結論しておきます。
更に多様性は生物にとっても必要不可欠であるようです。
以下、生物学者のエドワード・ウィルソンの言葉を引用したいと思います。
生物学者のエドワード・ウィルソンはこのように述べています。
「生物多様性について、私が最も繰り返し投げかけてきた問いは、『もし、一定以上の数の種が姿を消したら、生態系は破壊され、その後すぐに他の大部分の種も絶滅するのではないか?』というものだ。
いまのところ、この問いに対しての可能な答えは、『その可能性はある』だけだ。
しかし、本当の答えがわかった時はもう遅いだろう。それは、一つの惑星で一度しかできない実験だ」
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