以前、テレビで見た覚えがあるのですが、内容はだいたい以下の通りです。
豹がまだ子供の頃、ヒヒに襲われたのですが木の影に隠れて、なんとか危険から逃れ生きのびることができました。やがてその豹は大人になり、逆にヒヒを獲物として襲うシーンがありました。
その襲われたヒヒの足にはまだ子供のヒヒがしがみついていました。
豹はその子供のヒヒに気がついて、子供のヒヒを襲うと思われましたが、その豹は子供のヒヒを襲うどころか助けてあげたのです
そして、臭いをかぎつけてやってきたハイエナをも追い払っていました。
また、夜となく昼となく子供ヒヒを見守っていました。
豹がまだ子供だった頃の思いが残っていたのでしょうか。
豹の肉体に埋め込まれている本能より、愛の気持ちが勝っていたのでしょう。
私はそのように信じたいと思います。
これが愛の力である思います。
宇宙には、愛を価値なきものと考え、力こそ正義という価値観のもとに活動している宇宙人がいます。
弱肉強食の世界で生きている宇宙人であり、愛や慈悲が弱さに見えるようです。
弱い者は滅ぼされて当然という価値観です。
はたして弱肉強食という価値観が宇宙の普遍的正しさなのでしょうか。
私はやはり違うのではないかと考えます。
宇宙自体は、私達地球人を含めたすべての宇宙人の存在をはぐくんでいるように思えます。
宇宙の存在自体が生命ある生き物すべてをはぐくんでいる以上、宇宙の普遍的価値は愛であるといえます。
弱肉強食の価値観とは、自分のこと以外に考えが及んでおらず、自分が相手の立場になって考える、あるいは逆の立場になった時どのように感じるか等の視点が全く欠落しています。
自分がもし、滅ぼされたり餌にされたりしたらどのような気持ちがするのだろうかという観点がまるでないのでしょう。
宇宙の存在をあらしめている力とは、根源の神から流れでる愛の大河であり、その愛の大河というエネルギーの供給によってすべの存在が生かされているといえます。
宇宙の調和を乱す行為、そのような想念は必ず反作用をうみ自分自身に跳ね返ってくることでしょう。
人間を含めたすべての生命体(動物、植物、鉱物)はすべて根源の神によって生かされています。
どのような力を持った霊的存在でも根源の仏や神によって生かされています。
生かされているということは、消されてしまう可能性もあるということです。その霊的生命が現実に今あるということは、仏や神の愛や慈悲の中を生きているということです。
存在がない無の状態からエネルギーが発生して有の状態になる時、かならず陰と陽、光と闇、プラスとマイナスというように対発生します。
人間としての魂の修行は、対極にある存在を通して、自分の長所や短所、強みや弱みを理解出来るようになるのかもしれません。
また自分に欠落しているところを相対的に相手から学ぶことができるのかもしれません。
そのように考えてみますとある程度そのような存在が許される理由もわかるような気がします。
かつて大天使であったルシフェルが地獄に堕ちてサタンになりました。
現時点の座標軸で切ってみれば、これは完全なる悪であります。
しかし、1億年という単位ではなく更に永い時間の流れの中で考えてみますと一概に言えないものがあります。
悪として現れているものの中に一つの大きな教訓があるかもしれないのです。
これは根本仏の巧妙な教育方法であり「大天使が地獄に落ちてサタンとなり、現在も地獄にいる」という事実自体が、実は八次元霊や九次元霊を強力に教育しているかもしれないのです。
復活の法 参照
地獄世界が裏宇宙との繋がりがあり、邪悪なエネルギーを引いてきて地獄の存在をあらしめているようです。
悪想念が一定以上たまって大陸の沈没などがおき、その大陸に住む人類がいったん滅んだなら、地上からの悪想念の供給が一時期無くなるはずです。
ですから、一定の時間が経過したなら地獄界が縮小してもいいのではないかと単純に思っていましたが、裏宇宙からの力が働いていたとは思いもよりませんでした。
地球の地獄を消滅させるには、裏宇宙からのエネルギーの供給を食い止めなくてはいけません。
更に、地球人としての正しさ、価値観を弱肉強食という動物的価値基準ではなく、愛に基づく切磋琢磨に切り替えていく必要があります。
愛が弱さとして現れると滅ぼされる原因になる可能性があるので、智慧が必要であり悪と戦う勇気が大切です。
豹は本能的には肉食でありながら、豹が子供の時に襲われたヒヒに対して、そのヒヒの子供を守ろうとしました。
これが愛の力です。
魂が肉体に宿りながら、精神は肉体の本能を乗り越え他者を守ろうとする力こそ地球を守る愛の力です。
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