人生は四苦八苦と言われるように、霊的世界から見たらこの物質世界はかなり厳しい修行の場です。
生とは、生まれてくる苦しみです。
老とは、老いていく悲しみです。
病とは、病気等による肉体的な苦痛を伴う苦しみです。
死とは、未知なる世界に対しての恐怖です。
「愛別離苦」愛するものとわかれる苦しみです。
「怨憎会苦」嫌な人と会う苦しみです。
「求不得苦」求めても得られない苦しみです。
「五陰盛苦」肉体に基づく欲望を押さえることができない苦しみです。
以上が四苦八苦と呼ばれているもので、基本的に地上に生まれてくることに伴う、避けて通ることのできない絶対苦です。
四苦八苦以外にも仕事に対しての問題解決能力の不足が原因で悩み苦しみ、貧困で苦しみ、と数えればきりがないと思えるぐらいの苦しみがあります。
しかし、
「人間は、たとえ、亡くなる時点において、他の人から尊敬される立場に立っていなかったとしても、その思いと行いが正しいものであれば、あの世に帰ってからきちんとそれなりの判定がされる」
これが仏教における因果応報であると思います。
よく勘違いされるのは、私は宗教を信じ、神を信じているのに神様は私を助けてくれなかった、だから、私は宗教を信じないし神様も信じません」という人達です。
それに対する答えは、信仰者であっても困難苦難はあるかもしれません。
しかしそれは、「信仰の是非あるいは善悪」の結果として受け取らないで下さい。ということです。
実人生に何も困難苦難がなく、無事に過ごすことができれば幸福かといえばそうではありません。
霊的観点からみて地上に生まれたにもかかわらず、何の試練もなく霊界に帰ることになれば、それは地上いるときと価値観が逆転して後悔することになるでしょう。
艱難辛苦は、魂を鍛えるために用意されている砥石ですから、しっかりと磨かなければなりません。
ドイツ観念論哲学のフィヒテは、以下のように述べています。
「人間が進歩発展するプロセスのなかには、霊的な力がはっきりと顕現していて、哲学者はそのような人間一人ひとりの内なる進歩発展の原動力の奥深くまで認識の眼を向け、魂の根源を認識の光で照らしださなければならない、それが哲学者の最も大事な課題なのだ。」
人間の精神が進歩発展する為には、自己に対しての霊的視点や、魂の根源にまで目を向けなければなりません。
地上的な観点だけで人生観を考察しますと、悪い人が得をして、まじめに生きている人が損をしているように見えなくもありません。
しかし、霊的世界を含めた人生観からすれば、原因に対応する結果は、必ず本人に跳ね返ってくることでしょう。
太陽の光が、善人悪人に関係なくすべての人に降り注ぐように、宇宙の法則あるいは霊的法則はすべての人に平等に働いています。
ですから、地上的な視点で原因・結果が成立していないと思えても、霊的世界を含めることで完全に縁起の理法が成立します。
宇宙をあらしめている力と人間をあらしめている力は同質なのでしょう。
宇宙の調和を乱す思いや行為は、必ず反作用が働きます。
宇宙にはバランスの法則が働いているからです。
宇宙を知るには、自分自身の内なる探究が必要であると思います。
太平洋の海水と一滴の水は、量的にいえば比較なりません。
しかし、海水も一滴の水も元素記号は同じという点で共通しています。
太平洋の海水(宇宙)を知ろうとすれば一滴の水(個人)を探求することで宇宙の秘密を知る手かがりがわかるかもしれません。
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