ヘレンが12才の頃、歴史書を点字で読んでいたヘレンは魂が肉体から遊離する幽体離脱を経験します。
そして彼女は「霊魂は時と場所、肉体的な制約を受けない」事をハッキリと認識することになります。この新しい霊的知覚能力で、彼女は神の存在を確信するとともに、神に対する探究心が目覚めたのだと思います。
そして、この能力がきっかけとなり、聖書への探求を深めようとします。
しかし、そこに神々しい存在が感じられず(おそらく旧約聖書のことだと思います)、信仰心が揺らいだようです。
しかし、ヘレンはジョン・ヒッツという人物に出会うことになります。
ジョン・ヒッツが信奉していた思想家あるいは哲学者こそ18世紀のスウェーデンボルグです。
ヘレンは、ジョン・ヒッツ氏を通じてスウェーデンボルグの存在を知ることになります。
ヘレンは、ヒッツ氏からスウェーデンボルグの点字本「天界と地獄」を渡されます。
この「天界と地獄」という書物によって、ヘレンの信仰心に火がつきます。
この「天界と地獄」には、興味深い内容が書かれています。
『天使と悪魔は存在します。それは性別の無い存在ではなく、来世の人間の姿』でもあるのです。
地上に生まれた人間の生き方によって、天使になる可能性があると同時に地獄の悪魔になる可能性もあるのです。
イエス様は「その木がどんな木か知りたければ、その実を見ればよい」と言われました。
これは、原因・結果の法則、縁起の理法をたとえ話で語られています。
天国に行けるか地獄に落ちるか(結果)は、地上での生き方(原因)にかかっています。
ヘレン御本人が自覚されていたかどうかは別にして、肉体に基づく感覚器官が閉じたことによって沈潜していた内的な霊性が、顕在化していたのかもしれません。
通常の健常者の人達に比べて、魂の感覚が鋭敏であったのかもしれません。
魂の感覚で神の存在や、霊性を身近に感じていたように思えます。
人生とは、一つの扉が閉じられても、また別の扉がひらくもの―
自分にとって不利だと思える条件が、実は別の方向で有利に働くことがあるのかもしれません。
信仰に目覚めたヘレン・ケラーの山上の垂訓です。
私は信じます。
私たちの主の教えに従うことにより、この世に生きられるのです。そして、主の「汝の隣人を愛せよ」という言葉に従えば、この上ない幸福が世に訪れるのです。
私は信じます。
人と人の間に起こる問題はすべて宗教的な問題です。そして人間社会に起こる過ちはすべて道徳的過ちです。
私は信じます。
私たちは神の御心を成し遂げることにより、この世に生きられるのです。天国において神の御心が成し遂げられるように、地上においてもそれが成し遂げられる時、誰もかれもが人間を自分たちの同胞として愛するようになり、自分たちにしてほしいと思うことを、人に対しても行うようになります。お互いの幸福はすべての人の幸福と密接につながっているのです。
私は信じます。
人生は私たちが愛を通して成長するためにあるのです。そして、太陽が花の美しい色彩と香りのなかに存在するように、神が私の中に存在するのです。神は私の暗黒を照らす光であり、私の沈黙に呼びかける声なのです。
私は魂の不滅を信じます。
それは私の内部に不滅への憧れがあるからです。私たちが死んだ後に訪れる国は、私たち自身の動機、考え、行いからつくり出されたものに違いありません。
私は信じます。
あの世では、私がこの世で持っていない感覚が得られるのです。そしてあの世で私の住む家には、私の愛する花々や人々が織りなす、美しい色彩、音楽、言葉が満ちています。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学