アダム・スミスは、政府が介入しないで市場を自由放任にすることによって「神の見えざる手」が働くと説きました。
政府が介入しないで、競争が行われていれば価格が変動し、需要と供給のバランスが自動的に調整されるというものです。
シュタイナーも政府が経済に介入し、理論的な意見を出してくると適正な価格ではなくなり、生産と消費のバランスが崩れてくると述べています。
政治が勝手に規制を設けると、経済原則が崩れてくるという見解です。
理想的社会の在り方とはどのようなものでしょうか。
現代社会は、政治、経済、文化という三つから成り立っていると考えます。
例えば人間の頭部、胸部、腹部の役割や機能がそれぞれ違うように、そして、頭部、胸部、腹部のそれぞれが正常な機能を果たすことで、一つの肉体がバランスよく機能し健康を保てるのと同じように、政治、経済、文化がそれぞれの機能を発揮することで健全な社会が保たれるという考えです。
シュタイナーは、経済アソシエーションが経済を担当し、政府が政治を行い、文化コーポレーションが芸術、あるいは学芸を育成することを提案しています。
経済は経済の専門家や経験者が担当し、政治は経済的な利害関係のない政治家が担当した方が、機能的効率的に良いという見解だと思います。
政治家が経済の専門的経験者に口出しをしなければ、この三つ(政治、経済、文化)はバランスよく機能し、調和された社会が実現するという考えだと思います。
また、アダム・スミスは「価格は需要と供給によって決まる」としていますが、シュタイナーは、価格に概念はあてはまらないとして、生産者の供給は価格と需要の関係で決まり、消費者の需要は供給と価格の関係で決まるとしています。
経済活動は、経済の経験と専門知識を有する経済アソシエーションが判断を下し、政府に介入させないと述べたうえで、失業問題に対処し労働力の配分を考えるのも経済アソシエーションの役割だとしています。
ここに政府が介入してくると圧政になる危険性を訴えています。
マルクス主義は国家を経済組織にするものですが、経済組織を国家から解放する、自由にすることが大切であると述べたうえで、市場経済でもなく計画経済とも違う専門的経験者がそれぞれの分野(生産者や販売者の専門知識を有する経験者)が消費に見合う生産を具体的に取り決めた方が良いとしています。
資本主義は利己主義をもたらし、社会主義は人間の無知な理論から発しているとして、経済的判断を下すのは経済の専門知識と経験を有する人たちであり、専門家からなる組織を編制して判断を下していくことが全体の発展につながるという考えだと自分は理解しています。
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