愛と時間は同一であると私は考えています。
救世の法には、以下のように書かれています。
「慈悲は、あなたを、この世の敵、地球上の敵から護ります。
さらには、宇宙の敵からも護ります。
悪霊、悪魔、そして他惑星から来た邪悪なる宇宙人からも護るのです。
慈悲のみが、彼らを撃退できるのです。
彼らは、慈悲の心に打ち勝つことはできません。
慈悲とは、この地球の力なのです。」
愛、慈悲とは宇宙を含めた邪悪な存在から私たちを守る力があると書かれています。
宇宙全体からみた地球の存在意義は「愛」にあるのかもしれません
地球は、他の惑星から飛来した価値観の違う宇宙人たちが、主のもとに永い年月をかけて、地球的価値観を確立していく歴史であったと思います。
愛が根本にあるからこそ、価値観の違う宇宙人たちが地球人として、まとまることができたのでしょう。
これほどの力がある愛とは、私たちが愛とよんでいる本質とはいかなるものなのでしょうか
私は、宗教的に愛とよばれているものが、時間と深い関係があると考えています。
「時こそ霊的なできごとを現す、またそれを可能とするエネルギーの一形態である」と述べた人がいます。
時間とはエネルギーと関係があるということでしょう。
ところで、私たちが存在する3次元空間と4次元以降の空間とはどのような相関関係があるのでしょうか。
次元について簡単にまとめてみます。
次元とは広がりのことです。
0次元 点
1次元 線
2次元 平面
3次元 立体
4次元 ???
下の次元を考察することで上の次元を予測することが可能になります。
点が移動すると線になります。
線が移動すると面になります。
面が移動すると立体になります。
立体が移動すると超立体になります。
立体が移動するには時間を必要とします。
時間の流れこそが、3次元空間の存在をあらしめているといえます。
もし、時間が止まれば、3次元空間は消滅するはずです。
その根拠は・・・
例えば、線があります。
厳密にいえば、線には2番目の次元(広がり)があります。
線が存在するには、わずかに横方向に広がりを持たなければ、線が線として存在することができません。
わずかに横の広がりがなければ、線を引くことができません。
横の広がりがあるからこそ線が線として私たちは見ることができるのです。
2次元という一つ上の次元がなければ1次元という線は存在することができないのです。
その延長で考えてみますと、3次元が存在するには、4次元という一つ上の次元がなければなりません。
その一つ上の次元とは、私たちが時間とよんでいるものであり時間とはエネルギーの流れでもあります。
私達は現象の変化を通して時間の経過を知ることができます。現象が変化するということは、そこにエネルギーの作用がなければなりません。
エネルギーが作用したということは、その分だけエネルギーが使われたということであり、消費したということになります。
時間とは自然界におけるエネルギーの消費につながっています。
時は現象の変化であり、現象はエネルギーの消費を意味するものであるならば、自然界の現象の変化が激しいければエネルギーの消費も大きく、時の進み方も速いはずです。
時の経過が速いということは短い時間に大量のエネルギーを消費したということにつながります。
例えばバケツに10リットルの水(エネルギー)が入っていると考えます。1秒間に全部流せば、10リットル分のエネルギーが発生(現象の変化が激しい)し、時間は1秒間です。
しかし、1秒間に1リットルずつ流せば、1秒間に1リットル分のエネルギーが発生(現象の変化がゆるやか)し、時間は10秒間に伸びます。
エネルギーとは、高次元から流れているエネルギーをさしています。9次元→8次元→7次元→6次元というかたちで高次元から下次元に向かって流れている愛の大河であります。
エネルギーと物質は等価であると言われています。
エネルギーの消費が時間の正体であり、その時間を宗教的には愛・慈悲とよんでいます。
慈悲とは、すべての存在を許す力です。
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