総裁先生は以前、すぐれた「詩」は哲学や思想、文学より霊的に優れていると、おっしゃっていました。
それは、本質やエキスを凝縮して、内容を美しい言葉で表現し、人の感性に訴えかけ、感動を与えるからです。
天上界から降りてくる「詩」等は、頭で考えて理論整然と組み立てて理解していくという形式ではありません。
あくまでも霊的感覚で感じ取るものであると思えます。
感性的に神の世界を感じ取り、心が感動するのでしょう。
ヘーゲルは、神と人間の関係を以下のように述べていました。
『宗教は、人間と神は信仰を通して結び付けるが、哲学は論理で人間を神の位置にまで高める』
しかし、トマス・アクィナスは正しい信仰を持つためには、その宗教の教義が正しいのか間違っているのか、理性的判断能力が大切であるといわれていたと思います。
ですから、信仰を持つ前段階として、理性的な価値判断ができる必要があるということです。
これに対して人智学のシュタイナーは、ヘーゲルの哲学を絶賛してはいますが、あまりに抽象的・論理的で普通の人の理解力では到底、ヘーゲル哲学の真意を汲み取ることはできない、論理的すぎるので感情、感性にささらないので心が温かくなると言うことがない。と述べていたと思います。
本質的内容を短く美しい言葉で表現し、人の感情に訴えかけ感動を与えると言うことは素晴らしいことであると同時に、霊的にも優れていることと思います。
しかし、感性にかたよりすぎると、物事の善悪の判断があいまいになり、間違った決断をする可能性もあります。
魂の性質である、感性・知性・理性・悟性をバランスよく高めていくことが理想であると思いますが、少なくとも真理を知識として知っていれば、それほど間違った判断をすることもなく、中道を外れることはないとおもいます。


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