正しい考え方なのか間違った考え方なのか、判断は人それぞれだと思いますが、自分はこのように考えますという一つの意見です。
知識を取得し自分の頭で考えをまとめて記事にするには、一定量の知識の蓄積が必要です。
つまり、一つのテーマで記事を書くにしても、時間と忍耐と自助努力が必要であると言えます。
少しでも人のためになる記事を書こうというのであれば、間違ったことを書けませんから、なおさら時間と能力を必要とします。
ところが、コピペはどうでしょうか
ほとんど努力しなくとも一つの記事として掲載できます。
ブログ村のシステムも完ぺきではありませんから、一生懸命努力して考えて書きあげた記事もコピペも一記事として表示されます。
努力して書いた記事もコピペも同じ扱いであるならば、社会主義と変わらないと思います。
コピペ自体を否定しているわけではありませんが、ほとんど100%コピペは問題があります。
必要な情報、大切な情報もありますから、全面的にコピペを否定しているわけではありません。
もし、コピペだけの情報が必要でありニーズがあるという考えを押し広げた場合、どのようになるのでしょうか。
幸福の科学のブログ村に、コピペが得意な人、一人いればよいということになると思います。
違うでしょうか?
仏は、いろんな個性を持った人たちが、自分のできる範囲で努力している姿を「よし」としていると思います。
感性的な記事を書く人、哲学的な記事を書く人、宗教的な記事を書く人、詩的に書く人、政治経済を自分の視点で書く人、いろんな記事がありますが、どの記事が素晴らしくて、どの記事が劣っているということではないのです。
それぞれは自分の思ったこと考えたことを自分なりに表現することが素晴らしいことなのだと思います。
それがまた、ある意味で修行にもなっていると思います。
大量なコピペ記事によって、個人の記事が埋もれてしまい、結局、簡単に情報を提供できるコピペが上位を占めることになります。
これでは、真面目に記事を書いている人のやる気を失わせることになるのではないでしょうか。
やはり、自分で書いた記事を喜んでもらい、感謝してもらえれば、正直にうれしいものです。
大量コピペは、そのような機会を奪っているところが少なからずあると思います。
このように書くと、私自身が嫉妬しているとか、悪魔にやられていると思われるかもしれないと承知の上で書いています。
ご本人は、コピペ批判されると、相手を悪魔呼ばわりするところが見受けられます。
これは、救国のKと同じ論法です。
必然的に自分が天使側の人間で、批判する側は、悪魔と考えているのでしょう。
コピペを分類するとするならば、他力でしょうか、自力でしょうか?
そもそも幸福の科学の教えとは、どのようなものなのでしょうか。
努力して素晴らしい記事を書こうとする人と、素晴らしい記事をコピペして自分のブログに貼りつけて済ます人とどちらが正しいのでしょうか。
善悪を曖昧に考える人、有耶無耶にする人は、コピペぐらいでそこまで言う必要がないと考えるかもしれませんが、100%コピペが正しいか間違っているかと言えば、間違っていると自分は考えています。
コピペ自体を批判しているのではなく、100%コピペを批判しているのです。
正しい記事が広がるならばいいではないかという考え方もあるかと思いますが、目的が正しくとも手段の正当性に問題があると考えます。
現時点での私の考えです。
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そんなのは情報宣伝というよりは、他人の褌で相撲を取っている完全他力依存、自助努力を欠いたブログ形成に過ぎないだろう。
だいたい他人の記事を集めて、ランキングに参加する意味があるのだろうか、というのが疑問だしね。
自分で書いてもいない記事の寄せ集めで、ランキングに参加したって仕方がないとオレは思う。たまには自分の才覚で、切れのある記事を一つや二つは書いてみろ、といったところだ。
コピペばかり10年20年やったって、文章力なんて全く身に付かないからね。実際、そのサイトを見てれば表現力の成長なきは歴然、何年やっているのか、というはなしだ。
某サイトは、上位にいながらもアンチが乱入してきたとき、まったく無関心、マイペースでコピペを続けていた人だからな。
おそらく、いざとなった時でも、自分では何も反論できずに、嵐が過ぎ去るのまつ人なのでしょう。
はっきり言えば、ズルイということです。
今まで、誰からも批判されたことがなかったので、自分の間違い気づいていないのでしょう。
中国が領海侵入してきた時に、何もせずに傍観しているのと変わらない。
いったい誰がアンチと議論して戦ったり、通報行動を何度もして追い出すことが出来たと思っているのか。
嵐が勝手に過ぎ去ったと思っているのか。寝ぼけた平和主義者じゃあるまいし、悪に対しては戦う姿勢がなくてどうするのか。
そういう時の無関心な態度をみても、カテゴリの上位者の責任というのは、やはりあるからね。マイペースでやるだけなら、外でコピペをやりたいだけやれ、と言いたいところだ。
少なくとも、幸福の科学の信者であるということは、悪を押しとどめ、善を推し進めるのが基本姿勢だろう。
アンチが来ても意見のひとつも言わず、知らんぷり。誰かが議論して追い出してくれていることへの感謝の気持ちを、持ったことがあるのだろうか。大いに疑問に感じるのが、そうしたコピペブログの人間だ。
自分をよくよく振り返ってみてもらいたいものだね。
言うべきことは、遠慮なくハッキリ言わせてもらうわ、今年はね。
おかしいと思うことは、はっきり意見を述べた方がいいだろう
まぁそれがレオのいいところか(笑)
大事なことは、誰の意見かということではなく、正しいことなのか、間違ったことなのかという観点だからな。