プラトンやソクラテス、シュタイナー、スウェーデンボルグといった光の天使たちは、自分の体験、経験した霊的現象を、知性や理性で整理し、書物として世に問うています。
そこには単に自分の霊的経験という枠をこえて、普遍性にまで高められ、人類の叡智として人々に教えとして学べる形で現代まで伝えられています。
自分の霊的経験を踏まえて、人類にとって共通する普遍的な部分を、文書として理論的にまとめあげているということです。
霊界の普遍性、理念・抽象的概念を自分の認識内容として受け取り、個性を通して表現していると言えます。
観念論哲学のヘーゲルはプラトンの転生した姿であるといわれていますが、プラトンとは違った真理の表現形式をしています。
ヘーゲルは抽象的概念、抽象的理念を整理し、体系的にまとめています。
一般的には、真理の内容が深ければ深いほど、内容自体が抽象性を帯びているため、高度な認識力を必要とします。
ですから必然的に、霊的世界、理念や抽象的概念を人に説明するのは難しい説明になってしまうのでしょう。
あるいは、日常使用する言葉の中に、霊的世界の現象を表す表現方法がない場合もあるでしょう。
「一即多・多即一」、「絶対矛盾的自己同一」と言われましても、通常は意味が理解できません。
哲学者は抽象的理念をこそ大事だと考えて、より厳密に体系的にまとめ、表現しようとします。
霊的直観に伴う芸術的表現形態は、感性に訴えるもので、どちらかと言うと抽象的な概念や理念を語るのでなく、より感覚的に経験に即したイメージとして表現しているといえます。
ゲーテや音楽家、絵画やクラシックバレエなど、天上界にある霊的な光を、「美」という形で表現し、感性的に訴えかけてきます。
哲学的認識はどちらかと言うと、頭の中で思考力がフル回転していますので、感動して心の奥底にまで響いてくるということはあまりないと思います。
しかし霊的真理は、芸術を通して感性的に表現されますと、心に感動を覚え、乱れた心の波長が天上界の波長と同調し、心が整えられていく感じを受けます。
音楽では、ショパンのピアノ音楽や、バッハのパイプオルガンでトッカンターとフーガなど聞いていると、心が安らぐ感覚を覚えるし、神の世界を感じるような気がします。(個人的感想)
霊的世界の真実を、哲学的に表現するのか、芸術的に表現するかは、霊的インスピレーションを受け取った本人の個性に基づいて違ってくると思いますが、自分自身の努力によって、どれだけ器を広げることができるのか、それによって天上界から降ろされるインスピレーションの質と量が違ってくるのかもしれません。
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