私は、言いにくいこともはっきり言うタイプですから、申し上げますが、○○○さん、あなたの考えは、はっきり言って間違っていると思います。
いろんな考えを白紙に戻して冷静に考えてみればわかるはずです。
救世主がいらないという立場の人とは、いったいどのような存在だと考えますか?
それは、悪魔という存在です。あるいは、地獄霊であるかもしれません。
光とは反対の闇の存在です。
わたしも千乃裕子は知ってはいます。
確か、GLAを立ち上げた高橋信二氏の分派であったと記憶しています。
立ち読みですが、その昔、彼女の著作も読んだことがあります。
冷静に分析すれば、矛盾だらけであると思います。
これは、貴方を否定しているわけではありません。
幸福の科学の信者の立場としての意見です。
コメントでは長くなりそうなので文章にて返事をいたします。
まず、自称ガブリエルと言われる存在がこのように述べているということですね。
『救世主が生まれたからと言って何の役に立つでしょう。
メシア信仰して何になるのでしょう。
メシア信仰など必要ないのです。
あなた方は悟りを開けるように十分教育も得ていますし
情報も盛んに交換されており天の力もあるのですから。
魂の研磨について ガブリエル』
はたして真実のガブリエルが、救世主が何の役に立つのでしょう、というセリフを述べるでしょうか?この一行に疑問を感じるべきです。
本当のガブリエルは、マリア様が救世主(イエス・キリスト)を宿したとき受胎告知された天使であったと記憶しています。
『メシア信仰など必要ないのです』という、そちらのガブリエルが述べている内容には矛盾があると私は思います。
違うガブリエルなら話は別ですが。
メシア信仰など必要ないのですと言ってのける存在は、もう完全に悪魔かその手下であると自分は考えます。
確かに、自称救世主を名のる人はいるでしょう。
しかし、法の内容で判断すれば、他の自称救世主との差は歴然であると言えます。
また、千乃裕子を経由したそちらのガブリエルは、このようにも述べているということですね
『あなた方は悟りを開けるように十分教育も得ていますし情報も盛んに交換されており天の力もあるのですから。』と・・・・
十分教育を得ているという意味をどのようにとらえたらよいか悩みどころですが、学校教育のことを指しているのでしょうか。
学校教育は、人生の基礎をつくるという意味で大切な学問ではあると思いますが、すべてが正しい教育をしているとは言えません。
日教組が間違ったことを教えてくれているので、むしろ、悟りとは逆方向に向かっている部分もあるはずです。
地獄のサタンと言われる存在も、地獄霊を洗脳するのに同じような論法を使います。
「お前たちは自由なのだ、何をしても自由であり、それを妨げることこそ悪である。
天使たちは、お前たち(地獄霊)の自由を奪おうとしている。
しかし、神はお前たち(地獄霊)が、何者にも束縛されない自由を与えられた」
という感じで地獄霊達を洗脳していきます。
千乃裕子経由、自称ガブリエルが述べているような、悟りを開けるように十分教育も得ているし情報も盛んに交換されており、天の力もあるのですからというセリフは、個人の自助努力を否定しています。
情報と言っても無駄な情報が多く、むしろ正しい情報を得ることが困難な状況です。
そして、天の力があるのですからということは、人間の魂は神性を宿しているという意味とは違います。
ここにまったくのすり替えがあるということに気が付かなければなりません。
更に、○○○さんは、大川総裁がキリストや釈迦のように真理を体現していると言えないと述べていますね。
なぜなら、信者が増えないという理由をあげています。
しかし、これも間違っています。
これだけの法と説かれているのに、信者が増えないのは、私を含めた会員の力不足が原因です。
ですから、大川総裁先生の責任ではありません。
師は法を説かれますが、広めるのは仏陀の時代でもイエス様の時代でも弟子の仕事であるはずです。
更に○○○さんは、このようにものべていますね。
『このように正法自体が最早救世主を必要としないと言っていることを
幸福の科学は知らないのです。』と
しかし、これも間違いです。
正法自体が救世主を必要としないと言いますが、その正法(正しい教え)を説いているのが救世主です。
救世主こそが、人間の本質、霊的世界の真実、正義とは何か、愛と慈悲、このような正しい教えを説いて人々を正しい方向に導いていかれます。
ですから、正法自体が最早救世主を必要としないという内容こそ矛盾か生じていると言えます。
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救世主によって教えを受ける必要があったが、現代は天の力と自助努力で大丈夫という意味です。
下手に救世主を出すと教祖崇拝に陥り、かえって霊的成長が遅れるので
これからはメッセンジャーのような人物しか出さないと思います。
宗教から霊性の時代に変わったのです。
霊性の時代に救世主は必要ないと思います。
GLAの分派のところから、引用したり、
まあ、ガンちゃんさんが指摘してるように、
救世主が説く法を、「正法」という。
従って、救世主無くして「正法」はない。
よって、「正法があれば救世主が無用」というのは、
論理矛盾だ。
また、「法を説くのは師」であり、
「法を弘めるのは、弟子」の仕事だ。
従って、「法」が広まらないのは、「弟子」の責任。
だが、それを、〇〇〇が、言うのはお門違いも甚だしい。
そもそも、○○〇のいう
「自分こそ本当の師であって、それ以外の師は、いらない。」
というなら、何故わざわざ他人のブログにきて、
自己PRするのかね。
それほど、自分が偉いと思っているならば、
まず、自らいうところの考えを実践し、
実績を出してから言えばどうかね。
「救世主などいらない」というのは、
それこそ、悪魔がいいそうな言葉だ。
救世主が、いなくなって喜ぶ存在は、どのような存在かな。
救世主の教えではありません。
宇宙と調和して生きるための教え、というのが正法です。
キリストの愛、釈迦の八正道 慈悲 中道 これらは宇宙と調和して
生きるための教えです。救世主とは関係ありません。
そういう意味では喜多郎の音楽も正法と言えます。
正法つまり宇宙の法は、
誰かが説かなければわからんだろうが。
正法は宇宙の法であり、
それはまた救世の法でもあるんだよ。
言ってることが矛盾してるのに、気がつかないのか。
キリストの愛の教えは、キリストを通して説かれた。
釈尊の八正道も、釈尊仏陀の教えだ。
キリストや仏陀がいたからこそそういう教えが説かれた。
キリストも当時の救世主
仏陀も救世主
時代や地域は違うがな。
音楽にも、天国的なものと地獄的なものあるし、
音楽をきいて、心が調和されるということはある。
だが、それ自体には、正法とは言えない。
音楽は、心を調和する縁にはなるが、
それじたい『法』ではない。