師といいますか、救世主は、2000〜3000年に一度、地上に降臨されるといわれています。
救世主が救世主といわれる理由はどこにあるのでしょうか。
それを、簡単に定義するならば人間の魂を向上させる教え(法)を説いて下るということでしょう。
そして、人間一人一人が、魂の成長する過程で、多くの人とも協調しながら調和していく道を指し示してくださいます。
あるいは、宇宙の秘密・霊界の構造など、感覚器官を頼りとして生きる私達人間では、悟ることが難しい真理を、普遍化した教えとして、すべての人に理解できるように説いてくださいます。
ですから、神通力があるということだけが、救世主の証明にはなりません。
もちろん救世主は最大の神通力を持っていますが、それ以上に普遍的真理を説いて下さるのが、やはり救世主としての証明になると自分は思います。
確かに、人間は霊的存在ですから、潜在的にはすべての人が霊的能力を持っているでしょう。
しかし、救世主といわれる光の存在と、一般の人とを同列に考えるのは間違っています。
ある意味で、私たちの本質が魂であり霊であるという点で、すべての人はつながった存在、霊的な広い意味においては兄弟姉妹といえるかもしれません。
しかし、人間は転生輪廻の過程で培ってきた能力と言いますか、経験には明らかに差があります。
永い転生の過程で努力した人、人々のために頑張ってきた人は、光の指導霊になっていくでしょう。
それは、仕事においても真面目に努力した人は地位が上がり、手を抜いてきた人は平社員で終わるのと似ている関係にあると思います。
ですから、この点をよく注意しないと、悪魔の論理にすり替わっていきます。
例えば、「あなたの本当の師は1人しか居ないし、その師はあなたの心の中に(魂に)居る。」という人がいるとします。
表面的には正しい表現に聞こえなくもありませんが、この言葉が普遍化したら、悪魔の論理にすり替わります。
悪魔という存在は、自由という言葉をよく使いますが、その自由とは、自分勝手な生き方、やりたい放題、放縦、等自分のわがままを正当化するため使っているにしかすぎません。
聖書の言葉を悪魔も使うと言いますが、自分のしてきた悪事を棚上げして、自分を守る為に真理を悪用する人がいます。
貴方の師は貴方であるという意味は、間違った自由の解釈と同じで、自我の強い他を寄せ付けない人間をつくっていくでしょう。
自分自身の魂の可能性を信じて努力するという意味では、自分自身が師であると言えるかもしれません。
しかし、自分自身以外に学ぶべきものがなければ、大勢の中で生きる必要がなく、無人島にでも行って一人で生きていればよいといわれるでしょう。
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大川氏がキリストや釈迦のように真理を体現しているとはとても思えません。
体現していればもっと信者が増えるはずです。
大川氏よりも早く正法を解いた千乃裕子の天上界メッセージ集続インターネット公開版にこんなことが書いてあります。
救世主が生まれたからと言って何の役に立つでしょう。
メシア信仰して何になるのでしょう。
メシア信仰など必要ないのです。
あなた方は悟りを開けるように十分教育も得ていますし
情報も盛んに交換されており天の力もあるのですから。
魂の研磨について ガブリエル
このように正法自体が最早救世主を必要としないと言っていることを
幸福の科学は知らないのです。