仏は大切な教えの一つに、縁起の理法を説かれています。
原因結果の法則、因果律ともいわれていますが、個人がどのような種を蒔き(原因)どのように育てるか(条件)、それによって結果が自分に報いとして返ってきます。
これが、仏教における正当な考え方です。
自分に起こるいろんな出来事を、自分自身の責任として受け止め、間違った結果であるならば、原因を振り返って反省しましょうという教えです。
宗教は、個人としてどうあるべきかが大切であり、基本的に全体責任という考えは、あまりないと思います。
ですから、個人として責任を取るという意味で、人間には自由というものが与えられています。
自由に考え行動していいですよ、しかし、結果に対しては自分自身で責任を取ってくださいねーということです。
ところが、すべて他人任せ、人任せの人が増えたらどうなるのでしょうか。
国で考えてみますと、国防の問題があります。
自立した考え方は、「自分の国は自分で守る」これが基本的考えです。
ところが不思議なことに日本人は、まったく危機意識が希薄しているといいますか、何と言っていいかわかりませんが、周りに核武装し、日本を狙っている国があるにもかかわらず、脱原発や核兵器反対であるとか、まるでそれが正義であるかのように言っています。
縁起の理法で考えられない人、論理的思考で考えられない人が幅を利かせています。
どうして、自分の国を守ることに対して反対するのか、私にはわからないのですが、外国の方々にもわからないでしょう。
結局、自分は責任を取りたくないという気持ちが働いているのでしょう。
とにかく反対していれば、自分自身は批判されることはないという自己保身によって、日本全体が危機的状況におかれています。
自分で考えようとしない人がトップにいると、このようになってきます。
ブログ村でも同じようなことが起こります。
自分で考えて書こうとしない人が、増えてくるとどうなるでしょうか。
例えば、アンチが以前、大量に幸福の科学ブログ村に乱入してきました。
その時、一部の人達は、そのうちアンチなど出ていくだろうから、相手にしない方がよいという考え方でありました。
この考え方は、今の日本の立場と同じです。何もしようとしない、行動しようとしないということです。
しかし、アンチは出ていくどころか、観測所をはじめサンポールや何やら、のさばり続けていました。
そして、幸福の科学ブログ村であるはずなのに、アンチがかなりの数、のさばってきて幸福の科学や大川総裁の悪口を言いたい放題でした。
その時、アンチと戦ったのは誰かと言いますと、自分とは言いませんが、普段から自分の考えで記事を書いていた人たちです。
自分で勉強し、自分で考えをまとめ記事にしていた人たちは、当時のアンチと戦っていました。
(例外としてコウは、アンチに褒められて喜んでいました。むしろ私達ガンブロなどを後ろから攻撃する形をとっていました。また、ピッポはアンチとの戦い方なる記事を書いていたと思いますが、自分はまったく戦っていませんでした。)
コピペのみで自分の意見がない人は、アンチが来てもまったくの無関心であり、何もしようとしません。だからいけないとは言いませんが、その時に思ったことは、普段から自分で考えている人は、いざという時には、自分の書いた記事に恥じないような行動をとり、発言をするのだなということです。
やはり、周りの批判を恐れず、正しいと思うことを発信できる勇気が大切であると思います。
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