基本的に記事を書くということは、どういうことなのでしょうか。
今まで自分が学び続けてきた勉強の内容、真理の勉強や政治経済などに対して、自分はこのように学び考えているということを一般の人たちに読んでもらい、評価してもらう。
あるいは、自分がいいと思うこと、正しいと思うことを述べ伝えるための手段であると考えることができるかもしれません。
文章を書き続ける人には、わかると思いますが、一つの記事を書くには大変な時間と労力が必要です。
どのようなテーマにするか、内容はどうするか、書き終わった後に見直しや誤字脱字がないか、あるいは、こんなことを書いたら見知らぬ人を傷つけることはないだろうかと、いろいろ考えてから記事をアップするわけです。
一方、コピペに関してはどうでしょうか。
いろんなところから、素晴らしい他人の書いた記事を拾ってきて自分のブログに貼るだけですから、慣れれば数分でことが足りてしまいます。
読む人も、このサイトに訪問すれば情報が簡単に手に入りますから、ありがたいと思っていることでしょう。
しかし、文章を書いた人のことを考えたことがあるのでしょうか。
勝手に文章を拝借して、努力して書いた人達の成果だけを、自分のものとしているとしか言いようがありません。
もし自分が勉強して必死になって書いた記事を、他人が毎回毎回、無断でコピペしていたらどのような気持ちになるか考えてみればわかることです。
確かに、いい記事、あるいは情報は紹介したいという気持ちはわかります。
しかし、紹介したいのであれば引用に留めるべきだと自分は思います。
そもそも、丸ごとコピペは著作権違反であるはずです。
レオもコピペしていたと思いますが、彼は、一部を紹介して、あとはオリジナルサイトでお読み下さいという形式であったと思います。
自分で考えて書いた記事は一つもなく、自分が考えて書いた記事ではないものを、大量に張り付けているだけというのは、私は問題があると考えます。
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それを、言われると自分も耳が痛い。
ただし、
「自分で書いた記事を一つもないのは、問題だ。」
というのであれば、一応、自分も、自分で書いた記事は、
多少なりともあるから、まだ、ましな方かな。(笑)
大切さを言いたかったのです。
一生懸命に書きあげた人の記事が、コピペによって
読まれる前に、埋もれてしまうのは問題だと思う。
確かに、一生懸命書いたのを安易にコピペされると、
腹が立つ。(笑)