結果に対する格差をなくそうとすると、国家権力による統制が必要になってきます。
経済学者のハイエクは、「経済を国家が統制すると、政治的抑圧に移行する」と述べました。
ハイエクの正しさは、旧ソ連の崩壊と共産圏の破綻によって、証明されました。
※完全な結果平等を目指して営まれた国家の破綻は、スターリンのソ連、毛沢東の中国、ポル・ポトのカンボジア等で証明されています。
結果の格差をなくそうとしますと、確かに平等になります。
底辺で・・・・
経済原理の中にも、太陽の法に書かれているように、平等と公平の2つのものさしが必要であると思えます。
平等とは、結果に対しての平等ではなく、努力を認めるチャンスの平等です。
更に、結果に対しては平等でなく、公平という観点で処遇する必要があります。
平等と公平を正しい方向に使い分けることで、社会に真実の自由と繁栄が築かれていくと考えます。
国民のなかに格差社会が広がっていくと、さも日本崩壊、日本はこれでいいのか的に吹聴する連中がいます。
例えば、アメリカは非常な格差社会であるといわれています。
ビル・ゲイツのような大富豪がいる一方で、非常に貧しい人もいます。
しかし、アメリカに逃げ込む人はいてもアメリカから逃げようとする人はいません。
なぜでしょうか?
アメリカは、結果的に格差が生じても、豊かになるための機会には格差はありません。
ですから、アイデアや努力によって、豊かになる可能性がすべての人に開かれているということです。
日本で言われている格差社会の“格差”は、結果の格差を言っています。
そして結果の格差をなくそうとすることは、すべての人が、底辺での貧しい生活を余儀なくされます。また、努力が認められない結果平等は、人々を無能な生気のない人間にしてしまいます。
歴史を学ぶとは、教訓を生かすということです。
上記で書きましたように、結果に対する格差社会をなくそうとすることは、国家権力の増大を意味し、自由が否定され抑圧された社会が発生します。
その結果は、旧ソ連の通りです。
仏教の歴史を振り返ってみても、努力した人もしない人も、すべてが仏になれるというのであれば、人間は必ず堕落し、健全な社会ではなくなっていくということです。
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