天使の愛とは、聖なる力であり、聖なる光・希望・勇気であると思えます。
私たちが、目で確認できる世界より遥かに広大な世界において、光の天使が希望や勇気という光を投げかけています。
本当に大切なものは、「目に見えないもの」の中にあります。
そして、愛というものも目で見ることはできません。
人間は、地上的な価値観に染まり、唯物論がすべてと考えるようになってくると、自分で確認できるもの以外にわからなくなり、愛の存在を信じることができなくなります。
そして、地上で起こる苦しみや悲しみに、立ち向かっていく勇気を失っていきます。
愛とは、すべての存在の根源であると思います。
人間は、地上的な悩み苦しみの渦中にあるとき、どうしても愛の存在を信じることができません。
悩みの中にあるとき、自分の存在を否定し、自分の苦しさから他の人たちをも巻き込もうとします。
しかし、人生の苦しい場面こそ、自分の魂修行の課題があり、目に見ない尊い存在が光を投げかけています。
そのことを、教えてくれる映画です。
天使も地上の人達を救うための力が足りないとき、悲しみます。
その悲しみは、自分のためではなく、地上の人たちの苦しみを取り除くことができない悲しみです。
天使もお祈りをします。
祈りとは、高次元から霊的光を引いてくるパイプとしての力が働いているのかもしれません。
祈りの前提条件が、愛の実践行為であるとおもえます。
愛のなかには、美しさと智慧が内包されていなければなりません
見返りを求めないというところに美しさがあり、悩みから立ち上がるためのヒントを与えるところに智慧が必要です。
私たちは、天使に見守られ、愛をあたえられています。
しかし、それでは一方通行です。
私たちは、天使から与えていただいた愛を、周りの人たちに与えていかなければなりません。
それは、目に見えない存在を信じるところからもたらされます。
それを信仰心というのでしょう。
愛の思いは、瞬間的には出てきます。
しかし、愛の思いは持続が難しいといえます。
祈りの大切とは、目に見えない天使や守護霊に対しての感謝であり、愛の心を持ち続けるために必要な会話です。
優しい眼差し、励ます言葉、それは天使だけではなく、自分たちも実践しなければいけない行為であると思えた、そんな映画でした。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学