理念と概念の関係について考えてみます。
宗教的・哲学的な素養がない唯物論的な考えに毒され人達は、理念や概念といったものは、結局、人間が創り出したもの考えたものすぎず、客観的証明になりえない主観的なものであると考えているようなので、その間違えをただすという意味でも、簡単にまとめてみようと思います。
理念とは何かといわれたら、プラトンのイデアを対応させて考えるとわかりやすいと思います。
例えば、私たちは三角形を描くことができます。
しかし、その三角形は三角形そのものではなく、三角形の模像あるいは三角形らしいものにすぎません。
なぜかといいますと幾何学で定義する線分とは、長さだけであって幅や高さがないものを指します。
そのように現実にない線分によって描かれた三角形は、頭で理解できても(理性的に認識)、実際に見ることはできません。(感覚的認識ができない)
しかし、私たちは完全無欠の三角形(三角形のイデア)を頭で描き、それを原型として三角形を描いています。
言葉をかえて言いますと、二等辺三角形や直角三角形など多様で不完全な三角形を描けるのは、不完全な三角形に幾分かの三角形のイデアが含まれているからです。
哲学的に説明するとするならば、イデアとは、時空を超えた非物体な、永遠の実在であり本質であると定義できると思います。
感覚的なものは低次元に発現した不完全な存在であり、感覚的個物はイデアを原型とした模像であると言えます。
例えば、中空に輝いている満月は一つです。
満月は一つであり実在であります。実在である一つの満月は、海や川、湖にうつりますが波風がたてば、そのうつされた満月はいびつになり、雲がかかれば消えてしまいます。
これらは、あくまでも満月の影であって、真実の満月ではありません。
次に概念について考えてみます。
これも例をだしてみます。
時間についてニュートンは、あらゆる観測者にとって一様に流れる時間(絶対時間)を仮定し、力学体系を築き上げました。
これも一つの概念でしょう。
私たちは、昼になりますとお腹がすきますが、人それぞれ個人差があります。
お腹がすいたからと言って12:00ではなく、時計を見たら11:30かもしれません。
お腹の状況は相対的ですが、時計ではかる時間は、すべての人に共通して一様に流れていきます。
ですから、個人の感覚によって時間が変わるわけではなく、すべての人に共通した時間が流れていると考えられてきました。
しかし、相対性理論の出現でニュートンの絶対時間が完全に正しい時間認識ではないということがわかってきました。
速度や重力場の影響で時間が遅くなるということが実験的に確かめられたことによって、時間とは相対的であるという認識に変わってきます。
ただ、だからと言って、ニュートンの絶対時間が完全な間違いであるということではなく、時間という概念がより高度化されたということです。
日常生活ではニュートンの絶対時間で対応できますが、光速に近い速度や強力な重力場という特殊な条件の時には、時間が一様に流れないということです。
ですから、今までの概念では説明できない状況のときに、新しい概念が形成されていくと考えていいと思います。
しかし、これは人間によって考えたものですから、普遍性がないと思う人がいるわけです。
概念は、人間の勝手な思いつきではありません。
例えば、一つのパズルを完成させるためには、それぞれのピースを正確にあてはめなければなりません。
間違ったところにあてはめても、決して一つのパズルは完成されないでしょう。
完成されたパズルが理念に対応し、一つ一つのパズルのピースが概念に相当すると考えればいいかもしれません。
間違った概念が積み重なっても、一つの理念には到達することができません。
高次元に存在する理念は、下次元において多様で不完全な現れ方をします。
3次元立方体は、2次元の側面が合わさって、完成されます。
同じように、理念という原型(本質)は、正しい概念が積み重なって、認識できます。


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がちがちの唯物論者や、マインドコントロールされてる誰かさんには、
理解不能ではないかと、心配です。(笑)
もう、ちょっと、相手に合わせたレベルを低くしたらどないでっしゃろ。
あ、これ以上無理ですか。
失礼しました。(爆笑)
もっと、わかりやすく言わないと誰かさんには、
理解不能では?
あ。これ以上無理。
しつれいしました。(エイスケ風)(笑)
そうなんですよね〜
レオからも、もっとわかりやすく書けと言われています。(笑)
理念・概念・思考といった話になりますと、どうしても抽象論になって
しまい、イメージしづらいですよね
悟りとは、そんなに甘いものではないと、元信者さんにわかってほしい
と思ったのですが・・・
もうちょっと面白い文章が書けるようにがんばりますわ(笑)