「同じ水を飲んで、蛇はそれから毒をつくり、
同じ水と飲んで、牛はそれからミルクをつくる。
同じ川の水を飲んで、蛇は毒をつくり
同じ川の水を飲んで、牛は乳を出す」
「同じ仏法を学んで、ピッポとコウは猛毒をつくり、
同じ仏法を学んで、普通の信者は光を発する。
同じ仏法を学んで、ピッポとコウは悪想念をまき散らし、
同じ仏法を学んで、普通の信者はユートピアをつくる」
同じ魂の学習材料を与えられたとしても、その材料から毒をつくり、周りに悪想念をまき散らす人もいれば、同じ魂の学習材料を与えられて、それから光の言葉を発することができる人もます。
仏法を学んでも、まったく違った理解をし、勝手に解釈して、自分の都合の良いように利用する人がいます。
そもそも、善を悪と言い、悪を善という人たちとはどのような人でしょうか。
悪を善と思えるからこそ、相手を貶めるために平気でうそを言い、良心がとがめないのでしょう。
悪魔・悪霊には天使が悪者に見えるといわれていますが、この関係に近いでしょう。
悪を善と考える人には、間違いなく、あまりよろしくない憑依霊がついていると思います。
自分は神から、インスピレーションを受け止めていると考えているかもしれませんが、第三者がみれば、あるいは仏法を正しく理解している人から見れば、ピッポ氏の間違いなど一目瞭然です。
仏教の正しさの基準とは、中道にあります。
両極端なものの見方や考え方を否定して、ありのままに見るようにする、仏法に照らして善悪を判断し、善を取り、悪を捨てるというものです。
しかし、善を悪と真面目に考えている人に、いくら注意をしても、注意した人が悪魔になってしまうのでどうにもなりません。
まともな人が見れば、ピッポ氏の言っていることが神とは程遠い内容であることは、明らかだと判断できます。
ここでいうまともな人というのは、社会的常識を持ち、まっとうな判断を下せる人のことです。
いずれにしても、コウ氏は、自分のためなら平気でうそを言ってのけ、人を貶めることなどなんとも思っていない人であるとわかっていますので警戒する必要があります。
また、ピッポ氏は神になりたくてしょうがないようですが、まったく神には程遠く、ピッポ氏と一心同体であるポン吉君は、ピッポ氏のブログの地獄磁場で元気にやっているようですから、それほどの影響はありません。
しかし、コウ氏と同じように警戒が必要であると思います。
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言ってみれば、ガンレオが、ミルクを作っている牛なんだが、
そして、
ぽん吉たち四人組こそ、毒をつくる蛇なんだよね。
法を捻じ曲げて歪め、法の真義を失わしめる邪見こそが、水を毒に変えているということに相当するのだから。
ぽん吉が、毒をつくる蛇ってことだ。
それをひっくり返して、自分を、ミルクを作る牛に例えようってんだから、まったくもって、図々しいにもほどがある。
他にも自分を美化した形容を平然とぽん吉は行うけれど、全部間違いでウソだからね。たいていその反対側の邪悪な側の方が、ぽん吉そのものといって、まず間違いがない。
何しろ、自称・エンリルが送り込んだ工作員だからね、ぽん吉は。
自分で認めてれば世話はないんだよ。バカは死んでも治らんだろう。