戦争においては、片方が一方的な悪で、片方が一方的な善ということはありません。国と国が戦う以上、何らかの理由があるはずです。
日本もアメリカと戦う理由がありました。
国家間の紛争を裁く権威ある国際裁判所などありませんので、両者が和解にするには「示談」の道を選ぶしかありません。それぞれ言い分はあるでしょうが、問題に対して白黒をつけない、それ以後は問題を蒸し返さないということです。
国家間の示談を文書の形で表したものが「平和条約」です。
第二次世界大戦においては、日本は旧ソ連を除いて、すべての交戦国と示談をすませています。
アメリカ・イギリス・フランス・オランダに関しては、1951年にサンフランシスコ条約を結び、また、中国に対しても1952年に中華民国と日華平和条約、1978年には中華人民共和国と日中平和友好条約を結んでいます。また、日本は韓国とも1965年に日韓基本条約を結んでいます。
渡部 昇一氏参照
つまり日本も他の国々も、過去の経緯については、言い分はあるでしょうけど、お互いに外交の場ではそれを言うのは、やめましょうということで納得しています。
ところが日本の場合なぜか、示談が示談になっていません。
日本だけが過去の侵略に対して、謝罪を続けています。
個人同士の感情であればいざしらず、すでに国家間の付き合いにおいては、上記で書いたように平和条約が済んでいるはずですが、日本だけが例外扱いです。
それは、日本においては「東京裁判史観」が残っていて、謝罪は正しいと考え違いしている雰囲気があるからです。
マッカーサーが東京裁判で狙っていたのは、日本人に徹底的な罪悪感を植え付けることでありました。
アジア・太平洋地域における日本における戦闘行為は、すべて侵略戦争であり、日本が残虐な行為をしていたのは事実であると決めつけることで、日本人から気概やプライドを奪おうとした意図が見て取れます。
もしかしたら日本のあまりにも情けない外交も、東京裁判史観による日本は悪い国という気持ちがあるからこそ、中国や韓国になめられても強い態度できりかえすことができないのかもしれません。
もし、「過去の罪には時効がない」という論理を推し進めていくと、日本は永遠に謝罪をし続けるのでしょうか?
戦前の日本は侵略国家であり、日本は戦争犯罪をおかしたという東京裁判史観が横行しているのが戦後の日本なのです。
この誤った歴史観は日教組や左翼勢力によって、学校教育にまで及んでいます。
この害悪は、計り知れないものがあるでしょう。
今こそ日本人はプライドと自信を取り戻すべき時ではないかと思います。
間違えに対しても、相手にしっかりとした論理で批判すべきは批判するという姿勢が大事であると思います。
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だから、ちまちま細かいことをやっていたら、
間に合わないので、
手っ取り早く日本国憲法も、河野村山談話と同様、
無効宣言するか撤廃するしか手はないね。
で、もちろん憲法発布は、総裁の新日本国憲法試案をそのまま発布して
終了。