2015年08月30日

国にとって最も大切なエネルギー確保 歴史から学べ

国にとって最も大切なエネルギー確保 歴史から学べ

国家存亡に関する問題の一つは、エネルギーの問題であります。
日本国の政策の基本中の基本はエネルギーの確保です。

太平洋戦争(大東亜戦争)の原因もやはりエネルギーの問題がありました。
その当時、日本は石油を止められると、交渉を引き延ばすことが出来ないところまで追い込まれます。
近衛文麿を首班とする近衛内閣は、何とかアメリカを動かそうとしましたが、アメリカは強固な姿勢を崩さず、そうしているうちにも、石油の備蓄は日々少なくなっていきます。

禁油政策とは日本にとって致命的でした。
ちなみに、原発は安定的に膨大なエネルギー供給ができるのに、放射能の危険性から脱原発を訴える人達が一定の割合でいます。

日本は資源がない国なのに、安価な原子力発電を廃炉するということは、開戦当時にもどりたいのでしょうか。放射能が危険だからという理由なら、車だって交通事故の危険性が十分にあり、年間一定の割合で死傷者をだしているはずです。
真夏日は冷房が使えず、熱中症による死亡者も出ているはずです。

脱原発は日本の国益から見ても、人道的に見ても間違えであると私は思います。
もし、原発廃止を訴えるのであれば、原子力発電を続けながら、新しいエネルギーをつくりだすべきであり、新しいエネルギーの開発をされないままに、原発廃止を訴えるのは、日本が自滅する道につながると思えます。

第三次近衛内閣のもと、再びアメリカと交渉しますが、アメリカはまったく譲歩しようとしません。その結果、御前会議で「このままなら英米と戦争をするのもやむをえない」という決定が下されます。
ただ天皇が主導して日米開戦を支持したわけではありません。
天皇は何とかして戦争を回避できないかと考えていました。『開戦やむなし』という決定は本意ではありません。
山本五十六が「どう考えても長い戦争はできないから真珠湾を攻撃しよう」と考え始めたのが、開戦の僅か10ヶ月前のことで、日本が周到に計画し戦争を始めたということはありません。
あくまでも石油の備蓄がなくなってきたからであり、アメリカの禁油政策が日本を戦争へと向かわせたということです。

近衛首相がやめて、東條首相になっても、海軍は戦争を絶対にできないと言いませんでした。言えないという当時の論理もあったようですが。

それでも東条首相は、天皇陛下が御前会議を白紙に戻してもかまわないから、もう一度、和平工作をやれというので必死に戦争回避に取り組みました。
そこで、『甲案』『乙案』といわれる条件案でアメリカと交渉することにしました。
乙案には石油を売ってくれという一文字が入っており、それだけでも受け入れてもらえれば戦争は起こらなかっただろうと証言しています。
アメリカはブロック経済でずっと日本を締め上げていましたが、天皇は絶対に平和を望んでいらっしゃるから、上記の案をのんでくれるなら開戦は見合わせましょうというのが、東條さんの考えであったようです。
アメリカは『甲案』『乙案』ともに却下して代わりにハル・ノートを突きつけてきました。
アメリカのコーデル・ハル国務長官から日本の大使あてに一つの提案が届けられました。これがハル・ノートです。その内容をみて、それまで開戦に反対していた人達も「これは宣戦布告に等しい」と受けとった。これにいたって日米開戦やむなしと満場一致で決まることとなりました。

ハル・ノートの内容は以下のようなものでした。
@ シナ及びフランス領インドシナからの日本軍および警察の全面撤退
A 日独伊三国同盟死文化
B 重慶にある国民政府以外のシナ政府の否認
この要求は、これまでの日本政府の諸提案を安全に無視したもので、東條内閣と軍部は、これを実質的な『最後通牒』と判断しました。
日本政府は、大本営政府連絡会議で、「ハル・ノート」を到底承服できないとし、交渉打ち切りを決めます。
開戦決断は日本にとって苦渋の決断でしたが、それまでに至る原因はやはり、日本が石油資源を持っていないことを承知でいながら、英米が石油をうらないという決定をしたことにあります。

真珠湾攻撃において第一撃を加えたのは日本でありますが、日本が太平洋のいずれかの地域で攻撃を始めることは、事前の暗号分析によってアメリカは知っていたと言われています。
日本からの戦争回避の働きかけにも応ぜず、さらに、開戦を事前に察知しながらも黙認していたというのは、日本に先に手を出させることを目論んでいたとしか考えようがありません。


戦争当時、政治と統帥権が完全に分離していましたので、政治の代表者である東條首相は、統帥権の代表である海軍軍司令部や陸軍参謀本部の軍隊の動かし方について口出しが出来ませんでした。
統帥権干犯問題について触れておきます。
首相であるならば、陸海軍両方を統括しなければいけない立場であるように考えられますが、当時の首相はそのような権限が一切与えられていませんでした。権力が一極に集中しないように分散させていたのです。
明治憲法に「天皇は陸海軍を統帥する」とあります。天皇は陸海軍を整備せしめるとあることを楯にとって、兵力量を決めるのは天皇の権利である。それを内閣の代表が軍備の削減を決めるのは統帥権干犯、つまり天皇が統帥する権利を侵すものであるという議論がでてきました。

結局これがもとで、軍部の台頭を許してしまうことになります。統帥権干犯の声が大きくなるにつれて軍隊の力が大きくなり、それ以降、政治が軍についてどのような意見を出しても、すべて統帥権干犯だといって切り捨てられます。そして、二・二六事件が起きると、政治は軍隊が怖くて口出しできなくなります。
また、統帥権干犯問題と二・二六事件は軍を政治から切り離しただけではなく、陸軍と海軍に溝をつくることになります。統帥権には陸軍の統帥権と海軍の統帥権があります。陸軍の統帥権は参謀総長、海軍の統帥権は軍令部総長が持っています。
しかし、自分達の所属する軍に関してはよく押さえているが、参謀総長は陸軍大臣に情報を十分に上げないし、軍令部総長も海軍大臣に情報を上げません。双方の交流はほとんどない状態でした。
陸軍と海軍はバラバラの体制のまま大戦に突入したようです。
東條首相は陸軍大臣であったにもかかわらず海軍の動きはもちろん、陸軍の動きさえも十分に知らされていなかったようです。

大日本帝国の悲劇は挙げてエネルギーにあったと言えると思います。
歴史の教訓として、日本国の存続と発展繁栄は、エネルギーの安定した供給にあると自分は考えます。


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posted by ガンちゃん at 19:03 | Comment(4) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
エネルギー確保は大切ですが、HSの方々は、原子力は国産100%だと思ってるのですかね。
ご自分で調べてみた事おありですか。
日本のどこからウラン鉱石が産出されるのですか。

全部輸入に頼っていて、輸入が止められれば終わりです。
石油と全く同じどころか、返ってよくないかも知れません。
表向き、自国で精錬すらもできません、内緒でやってるようですが。

確保という面では、全然結構なものではありせんよ。
歴史から学んだら、原発は止めるべきと言う結論になります。
Posted by アンチ原発 at 2015年08月30日 23:00
アンチさん
するどいツッコミありがとうございます。

あえて国の政策的なことを追加するとするならば
『そのような輸入先の国と喧嘩はしない、してはいけないということでしょうか』
輸入国とは、友好関係を築くということが鉄則ですね。

ところでアンチさん
原発をとめた場合、どの代替エネルギーを使用すればいいとお考えでしょうか?

日本の国益を損なわない、経済効果を考えたうえで原発にかわるエネルギーを教えて下されば、大変勉強になります。

Posted by ガンちゃん at 2015年08月31日 03:50
アンチ原発の人は、原発反対というわりには、

代替え案がない。

あったとしても、実現不可能で、原発に代わるものがない。

ちなみに、太陽光発電は、ドイツでは、もう、行き詰ってますが。

ぜひ、原発に代わる安定した持続可能なエネルギーを教えていただきたいね。

また、ウランは確かに、輸入ですが、

だから、幸福実現党は、核燃料の再処理にも言及しています。

核燃料は、再処理が可能なんですよ。

再処理が、うまくいけば輸入量が、調整できます。

だから、今のところ、原発に代わる安定した持続可能なエネルギーはないんですよ。

Posted by 英 at 2015年08月31日 20:44
追記
日本のウランの輸入先は、

データーが古いが、

1オーストラリア約37%
2カナダ    約23%

ということで、

オーストラリアが、ダントツですね。

オーストラリアと日本とは、友好国なので、

まず、輸入がストップということはないでしょう。

この間、オーストラリアは、日本の潜水艦の商談があったばかりだし。

2位のカナダは、ちょっとわからんけどね。
Posted by 英 at 2015年08月31日 20:55
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