霊的世界を含めた転生輪廻や魂の兄弟理論を、教えとして明確に説いたのが当会の仏法真理であると思います。
元々の仏教では、地上における苦しみの原因は、「惑・業・苦」といわれるものでした。
惑とは、地上における迷い、顚倒夢想といわれるように、ありもしないことで悩み迷うことで、魂に一定の傾向性ができます。
その真理からみて間違った魂の傾向性が苦しみの原因となり、死後、地獄に落ちるという苦しみが待ち受けているでしょう。
仏教に『有』という言葉があります。その人自身が数十年、考え続けてきたこと、思い続けてきた思考内容が一定の方向に固まって、別の方向にハンドルをきることができない状態、魂は本来、自由自在であるはずですが、魂の傾向が固定してきた状態と定義してもいいかもしれません。
十二支縁起というものがありますが、智慧がない無明の状態で行為(行)をすることで魂の傾向性が出来上がり、次回の転生に持ちこします。
自分で苦労しながら学び取った経験は、自分の魂の傾向性を変化させ、実人生を好転させる力があるのではないかと思います。
ところが人生の後半戦にさしかかると、相手の話を聞かなくなり、素直な気持ちを忘れて、努力して自分自身を変えていこうとはしません。
柔軟な心で、自分自身を変えようとしないと、想いの針が指し示す方向性が一方向となり「魂の傾向性」が出来てきます。
仏教的には、十二因縁・十二支縁起という考え方があります。
無明(智慧の明かりが無い状態)に基づく行(行為)によって、一定の魂の傾向性が形成されそれが、過去世の業として現世に持ち越します。(識)
母親の胎内で肉体の原型が形成(名色)されて、地上に生まれてきます。肉体に基づく感覚器官(六処)眼・耳・鼻・舌・身・意が発達することにより、感覚器官の対象にたいして(触)の感じ方や感受性(受)がはっきりしてきます。その対象に対しての欲望(愛)、この場合は渇愛がでてきはじめ、欲望(取)がでてきます。
それが魂の傾向性として形づくられて、これで『有』の状態になります。
そして来世の生まれ変わり(生)があって(老死)があります。
これが十二支縁起ですが、転生輪廻も縁起の理法のなかに流れていますので、迷いを断ち切るためには、仏法真理を学び、いままので自分の考え方や傾向性にない思考パターンを身につけて人生を変えていく以外にないと思います。
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