高次元からのインスピレーションを受けるための、正しい人間としての在り方や、修行態度を考えてみたいと思います。
『創造の法』から、インスピレーションを受ける条件として「勤勉な努力家」であることをあげています。霊的なインスピレーションを受ける前提条件の一つとして、普通の人間としての自助努力が大切であると教わっています。この部分をおさえておかないと、正しいインスピレーションとは逆の霊的存在たちの影響を受けてしまう可能性が高いと思います。霊界には、その人を破滅させようと考えている悪霊がいるので、まずは常識人として、仕事や勉強において誠実に勤勉な生活態度を持つことが大事であると述べられています。
日常生活の中で、心が乱れることが多々あると思います。しかし、環境や人間関係等、自分以外の原因で心が乱れるならば、まだ自分自身の本当の主人になれていないかもしれません。(私もよく乱れます)
霊的世界に参入するには、慎重な態度がどんな場合でも必要であると思います。性急に進歩を求めて(信者)としての自覚を忘れ、高貴、善良、もしくは物質的な現象感覚の一片でも、神秘修行を行ずる過程で失うようなことがあってはならないといわれています。(霊的現象に振り回されないための自己確立)
反対に自分の道徳的な力、内的誠実さ、観察能力など修行を通して高めていく方向で努力することが大事かと思います。
基本的な悟りの修行過程においては、隣人や動物に対しての同情心、自然美に対する感受性をたえず高かめていくように努力しなければならないと言われています。この意識的な努力を怠ると、同情心も感受性も修行の過程で失われてしまうようです。心情はかたくなになり、現実感覚が鈍くなるおそれがあります。
次にあげているのは、「専門外の分野にも踏み込むこと」とあります。本当の意味においてインスピレーションを受ける人というのは、人知れず努力している人であると考えます。そして、その努力の方向が自分の専門領域以外にも、踏み込んでいなければなりません。幸福の科学の教えを何回も深く読み返し、理解しながら自分の魂の傾向性が変わるまで読み込まなければいけないと思います。
同時に、それ以外にも過去の偉人たちの哲学、思想、物理・化学、文学、歴史、政治経済、芸術など、自分のできる範囲で、幅広く教養を積んで行く地道な努力が大切かと思えます。
なぜかといいますと、一つの領域しか知らないと、下からの惑わしをチェックできないのではないかと思えるからです。
いろんな分野を知ることで、インスピレーションの内容をいろんな角度からチェックをすることができるのではないかと思います。
つぎは、「情報遮断」・「情報収集」この両方の重要性が書かれています。情報を取らなければ、新しいものを生み出せないので情報は必要でありますが、情報の洪水の中でどう生きるかが大事であり、現代では情報収集と情報遮断を両方使い分けた人が、正しいインスピレーションを受けるための条件を満たしていると考えられます。
19世紀の思想家、カーライルという人の言葉を引用しています。「ハチは暗闇の中で蜜をつくる。脳は沈黙の中で思想をつくりだす」といわれ、沈黙の大切さを説いています。一定の間、誰にも邪魔をされない「孤独な時間」を取ることで考えを煮詰め本質をつかみ取ることが大切です。
シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という書物には、第一に真剣に超感覚的認識を求める人なら、自分が高次の秘密を導いてくれる導師を見出すまで、どんな努力も、どんな障害も恐れてはいけないということ。第二に認識への正しい、まじめな努力が存在するときは、どんな状況の下にあっても、伝授する側がその人を必ず見つけ出してくれるということである。」と書かれていますが、ここで言う導師とは総裁先生であり、仏は1人1人の努力精進を間違うことなく見続けていてくださるという意味だと理解します。
どんな人間の中にも、感覚器官をこえた、より高次な認識、高次な世界にまで認識を拡げることのできる能力(可能性)が潜在化しています。過去の歴史でも、神秘家やグノーシス派、ギリシャの哲学者など、古来より手で触ったりできる物質世界の事物と同じように、霊的世界、魂の世界も現実に存在すると語っています。また、どの本にも同じような内容が記載されていますが、仏や神に対しての畏敬の感情、尊敬の思い、信仰心の大切さが言われています。
現在の我々の時代は、この点、目に見えない尊い存在を信じること、崇拝することに関して最も注意を払う必要があるのではないでしょうか。
現時点での文明生活は、目に見えない尊い存在に対して、尊敬したり、献身的になる、崇拝したりするよりも批判したり、酷評したり、裁いたりする傾きがあります。どんな裁きも、批判も、魂の中の高次な認識力を失わせてしまうと人智学のシュタイナーは述べています。
魂の栄養としての尊敬、畏敬の思い、敬意などの感情を健全で力強いものにしていくことで、認識活動に活力を提供すると言われています。しかし、認める価値のあるものを過小評価したり、軽薄したり、反感を感じたりすることは、正しい認識活動を麻痺させ、不活発にするとも言われています。
「孤独の時間」をとることの重要性を書きましたが、沈黙、静寂の時間の中で本質的なものと、過ぎ去るものを区別し、思考内容を整理し3つの条件を意識しながら生活していくことが、次の道を開いていくことになると思います。
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