2014年11月12日

信仰の試し

信仰の試し

自分を含めて、その信仰が本物なのか、あるいは信仰心という言葉に酔っているだけで実は偽物の信仰心でしかないのか、その試しが人生の途中で現れてくるでしょう。

私の拙い経験上、この試しが2つの方向から訪れるのではないかと思います。
1つは外部環境の変化として自分の前にたちあらわれる場合と、2つめは己心の魔として自分自身の内面的問題として降りかかってくる場合です。

もちろん、心のあり方や心境によって外部要因を引き寄せる場合もあると思いますので、外的な変化と内面的な変化は無関係ではなく、連動しているとは思いますが。

己心の魔については、その人自身の使命や運命の転換点に達すると、でてきたりする場合もあるようです。
その人が霊的な使命に目覚め、他の人に対しての影響力が増してくると、それを潰そうとする勢力も活動を開始しますので、自己保身、自分が可愛いという気持ちが強いと、実際、悪霊等の霊聴が聞えて自分の言ってほしいことをささやかれ、騙されてしまうこともあるようです。
また、自分は偉大な存在、菩薩や如来、あるいは光の天使と思いたいという気持ちを誰もが持っているので、その名誉心のところをつかれると信仰心がぐらつく場合もあると思えます。

また、霊的な影響だけでなく、必ずしも悪意とは言えませんが、地上的な善意による場合の信仰の惑わしもありますので、その時に、自己保身からくる現状維持という姿勢をとるのか、勇気を出して現状を打開するのかが問われているように思います。

自分の置かれている状況や事情、社会的存在に合わせた「魔」という存在が立ち現れてくるのかもしれません。

立場や環境、悟りのレベルに応じたゆさぶりといいますか課題がでてきますので、その都度、迷いが生じたりすることもあります。
そのような己心の魔を打ち破っていくものが信仰の力であると思います。

自分はこんなに信じているのに、どうして自分の思うような道が開けないかと思う場合もありますが、それはすでに、自分の信念が外部環境に依存していると思えます。

自分自身も弱い存在ではありますので、その都度、家庭問題、環境の変化、心のあせりなど、生きていれば悩みや心配事が次から次へとでてきますが、それらを乗り切るなかに、本物の信仰心を培えることができるのではないかと思われます。

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posted by ガンちゃん at 01:55 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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