知り合いの中国の女性の方が食事をするときに、牛の肉が入っていないことを確認して、食事をしているのを何回か見かけています。
宗教の関係だなと思って見ていましたが、どうして肉を食べないのかあえて質問しないで見ていました。
同じようにネパールの人で豚肉を食べないので、どうしたか質問してみました。その人は豚肉と牛肉は食べないが鶏肉だけは食べていいと言っていました。
そのネパールの方は、牛は神様なので食べてはいけないといいます。
私は、どうして牛が神様になるのですかと、やんわりと質問します。
するとそのネパールの人は、自分達が赤ん坊の時、母親からミルクをもらいそれを飲んで育ってきた。
その母親がくれるミルクは牛から出る。
自分が大きくなれたのは、牛からでるミルクのおかげだといっていました。
母親からミルクをもらって大きくなれた自分。そのミルクは牛から出ている、だから牛は神様なのだと説明してくれました。
仏教は肉食について「見・聞・疑」に引っかかる肉は、食べていけないといわれています。
「見」とは、目の前で豚でも牛でも殺された姿を見た肉は食べていけない。
「聞」とは、そのように聞いた肉は、食べてはいけない。
「疑」とは、そのような疑いがある肉は、食べてはいけない。
ネパールの人に本来の仏教に関しての肉食は、「見・聞・疑」に引っかかった肉を食べていけないといわれているので、決して豚や牛の肉を食べていけないと言っているわけではありません。
生き物という点に関しては鳥も同じです、とは言えませんでしたが、すでに日常生活に根付いていますので、余計なことを言う必要はないと思いました。
宗教は教義といいますか法理論を学び、広げていくのが王道であると思いますが、生活に密着した戒律も、後世に伝えていくため必要なことだと思った次第です。
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