2014年10月07日

魂の進化と食生活の変化

魂の進化と食生活の変化

人間は霊的な方向に意識が向きはじめると、肉体とは魂が一時期、修行のために宿る乗り舟だと考え始めます。
肉体の内に宿っている超感覚的なもの、魂や精神といわれるものこそが、高度な現実性を有しているといえます。人間は死ぬと肉体が諸行無常の法則で崩壊に向かいますが、地上に生きている間は、霊的存在(魂)は肉体の崩壊と戦い続けています。

自分の体験から考察しますと、霊的な方向に自分を変化させようとしますと、食べ物の質も変化してくると感じます。青年時代はやはり肉食が中心だったと思いますが、年を重ねていくと不思議と肉よりも魚類や菜食に変化してきたなと感じます。
人間は普遍的な方向に関心を持ち、真理に目覚め努力を続けると、菜食の方向に行くそうです(笑)。魂の傾向性によって食べ物の種類も違ってくるようです。


共感や反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは肉食が原因であるとのことです。
また、戦闘性が強い傾向がある人も肉食中心の感じをうけます。
食事が精神に影響を与え、精神も食事の好みに影響を与えるような感じがします。

一般的にも言われていますが、食べすぎは体によくないです。これは自分の経験からしても、食べすぎない方が新陳代謝にいいような感じがします。食べる量が少ない方が毒にならないので、よく栄養が摂れるということがしばしばあるようです。
小さいうちは食べ物のエネルギーが肉体を形成する方向に使われますが、大人になるに従って、そのエネルギーが思考する方向に使われ始めます。
小さい時の記憶があまりない理由は、エネルギーを思考ではなく、肉体をつくるために使用された為だと考えられます。


アルコールに関しては、第一に人間の思慮分別、人間の心のいとなみに関係してくるそうです。
中道をこえて飲みすぎると、女性の場合は、人間の中にある地上的なものが崩壊に向かい、男性の場合は、周囲にあり人間の内にある動的、空気的なものが崩壊に向かうそうです。つまり、自分自身の内的なものが破滅に向かい周囲に対しても崩壊する方向に向かうということだと思いますが、お酒に関しても中道が大事であるということだと思います。

ただ、これは唯物論的に考えて物質が精神を規定しているということではありません。そもそも思考をしない人が野菜ばかり食べても、本質的なところはあまり変われないと思います。もし物質だけが活動するならば、牛肉や豚肉を食べたならば、人間も牛や豚の性質を受け取り、豚や牛に近づいていくはずです。

一般的に精神生活をし始めると、肉食ではなくなってくるそうで、肉食を禁止するというよりは、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるということのようです。(肉食を否定しているわけではありません)

コーヒーに関しては、論理的な首尾一貫性を物質的に要求するようで、コーヒーを飲むことによって、事実に即した首尾一貫性を引き出すとのことです。
自分の経験からしても、難しい本を読んだり、考え事をしたりするときは、結構コーヒーを飲みながらの場合が多いと感じています。
コーヒーを飲むことで精神集中がしやすくなるのかと、自分的には思いますが、個人差があると思うので一概には言えないと思いますが。
逆に紅茶は、精神を集中する方向とは反対に、精神を解放させる働きがあるような気がします。
紅茶を飲みながらご婦人がお話をしている姿をよく見かけますが、ご婦人がコーヒーを飲みながら、リラックスして会話をしている姿は、あまり見かけたという記憶はありません。

精神と食事の関係を考えてみました。



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posted by ガンちゃん at 10:18 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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