支部の活動のなかでどうしても勘違いしてしまう会員さんがいるようですが、何か役職を頂くと、会社の上司と部下の関係だと考える人がいると思います。
信者は主と信仰で結ばれてはいますが、信者同士は役職に関係なく、同じ修行者としての立場です。
お互いに同じ立場としての修行者なのですが、なぜか同じ会員を裁いたりすることがあります。
よく支部に足を運ぶ会員さんは偉いと思いますが、支部にあまり顔を出さない人を裁く傾向があるかもしれません。もちろん個人によって違いますが、教科書通りに正論を述べて活動しない会員さんを裁くということがあるならば、やはり何かが違うと思います。
おそらくそのような人がいると、支部の活動に参加しない人が増えてくるのではないでしょうか。
誰でも裁かれたくありませんから、あえて支部に行こうとしなくなると思います。
もしかしたら支部に行かない理由は、その当人に会うと不愉快になるので距離が遠のくかもしれません。
人にはそれぞれ人に言えない事情がありますので、その辺を察してあげて対応するべきだと自分は考えます。
それぞれの信者さんは自分のできる範囲で努力していますので、その人をわかってあげるように努力することが大切であると考えます。
また、本音で話ができる法友同士、横の繋がりつくっておく必要があると思います。
人それぞれ事情が違うので、本音で話せる法友がいないと一人で苦しみと対決しなくてはならなくなりますので、厳しいところがあると感じます。
逆に本音で話せる信者同士であれば、話をするだけでかなり気持ちが楽になるのではないかと思います。
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あります。あります。非常によくわかります。私の支部でも体験いたしましたが、一言で言うと、人徳がそれほどでもないのに、あるいは徳がないので(?)やたらと人を裁いて、上から命令したがる方ですね。そして、それは失礼なことではないかとご指摘しても、リーダーさんのほうは素直に反省や謝罪ができず、自己正当化に固執し、他人の心中などは一切関係なしというようすで無視されたりします。この人もしかして阿呆(?)ではないか、、と思うことがあります。「まずは、最低限の礼儀をわきまえられたし。そういう意味では信者でない一般の人以下です。」と申し上げたい方もおられます 。もちろんそれだけではなく、素晴らしいリーダーさんも数多くいらっしゃるとは思います。ちなみにそのあたりの論点につ いては、「原点回帰―31年目の日蓮の霊言―」に詳しく説かれているようです。