旧約聖書の前半に登場するイザヤについて、二つの重要な預言と思われる箇所について考えてみます。
イザヤなる存在は旧約聖書に登場する預言者のなかでも重要な位置付けのようです。
第六章には、ある日、イザヤは玉座に座る主を見ます。その玉座の周りにはセラピム(セラフィム)達がいたと書かれています。
おのおの六つの翼をもっていた。その二つ翼をもって顔を覆い、二つの翼で足を覆い、二つをもって飛びかけり・・・・ということで天使を見るという神秘体験を通して、預言者としての召命をうけることになります。
また、第七章ではイエス・キリスト生誕の預言と思われる箇所があります。
「主はみずから一つのしるしをあなたがたに与える。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と蜂蜜とを食べる。」と書かれていますが、一般的にイエスが生誕される預言と言われています。
また十四章にはルシ○○が天上界から落とされた描写だと思われる箇所があります。
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から堕ちてしまった。
もろもろの国を倒したもの者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
あなたはさきに心のうちに言った。
『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
しかしあなたは陰府(よみ)に落とされ、穴の奥底に入れられる。」
また、
「やがて来るその日、その強く大きく鋭い剣を以て、太い蛇レビヤタン、くねる蛇レビヤタンを追い詰め、海の竜を殺す」。
よくサタ○のことを聖書では竜と表現していると自分は理解しています。
レビヤタン・・レビヤタン・・レプタリアンやはり旧約の預言者もルシ○○の正体が実は爬虫類型の宇宙人といいますか、霊的存在形式がレプタリアンであることを描写したのでしょうか。
ヨハネの黙示録にもサタンが天使との戦いで地に落とされた描写が書かれています。
「さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たヘビは、地に投げ落とされ、その使たちも、もろもろに投げ落とされた。」と書かれています。
黙示録のヨハネは天上界にあるアカシックレコードを読んだと言われていますので、一億数千年前に起きた大事件をみてきたのでしょう。
イザヤと言っても何人かイザヤという名前の存在がいますので、上記で取り上げたイザヤは第一イザヤということになります。
旧約聖書と新約聖書は同じ神ではないことは福音書の教えの内容から推測しても明らかです。
旧約は戦いの神あるいは、裁きの神です。裁きの神・ヤハウェ以外にも、エローヒムの神の名も出てきますので、ユダヤの民族神から愛の神による世界宗教に移行しようとする計画があったのでしょうか。
ユダヤの民族神は戦いの神であると思われるので、新約の福音書における愛の教えと同時に旧約聖書をセットで読むことで、歴史の流れの中で戦争がおきたのでしょう。
第一イザヤの預言の中で重要な点は、救世主誕生の予言と、元大天使であった存在が神に嫉妬して自分が神になりかわろうとした結果、地獄に落ちてしまった。
自分はこの二つの預言は重要であると考えています。
愛の教えこそ民族の枠におさまらない世界宗教としての普遍的な教えであると思います。愛の教えは地球的あるいは宇宙を支配している法則であるので、愛の教えが広がることで民族の違いによる宗教同士の争いがなくなり、地球として一つにまとまっていくのではないかと考えられます。
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恐怖の大王の尤も怖れているのは、人々の結束。連帯意識、愛です。
昔、蒙古を撃退した力も結果的に神風のように見えますが、それを引き起こしたのは、他ならぬ我々日本人の団結とチームワークだったのです。
蒙古はそのような戦い方が出来ず、結果的に作戦負けしたのです。
個人バラバラの力より結束した組織の力が最強なのだと、あらゆる歴史が証明しています。
いつも読んでいただき感謝しております。
今、地球を救う力は愛であると思います。
個人個人では乗り切れない困難でも、仲間がいれば
困難に立ち向かっていく勇気がわきます。
愛には優しさと勇気の両面があると思います。
未来の子供たちの為に、勇気をもって
道を切り開いていきたいですね。
レビヤタンとはリバイアサンのことですね。
旧約の第1章ではエロヒムですが第2章以降ヤハウェのようですので順序的に乗っ取られた格好ですかね?