2014年02月23日

心の法則と愛の大河

心の法則と愛の大河

遥か高次元から流れてくる、愛の大河に逆らって逆方向に上っていこうとしても、ある程度までしか行けず、押し流されてしまうでしょう。
この大河の流れる方向と逆に進もうとする人とは、どのような人かと考えてみますと、自らを神であると思うような場合が考えられます。
結局自分が、生き神様のようになってしまい、すべて自分の見解が正しいと思いこんでしまうタイプの人、自分自身が間違うわけがないという、思いあがった人ではないでしょうか。

どのような法を聴いたり読んだりしても、自分の考えが先にありきで、都合の良いように解釈するような人が、愛の大河を逆に向かって進んで行く人だと思います。

昔、本で読んだが聞いたか忘れてしまいましたが、ギリシャの神話?だと思いましたが、内容は以下のようなものです。
山道を歩いてきた旅人が、この辺りには一軒しかない茶屋に一晩泊めてくれとたずねると、その茶屋の主人は快く、泊めてくれます。
疲れた旅人は、ベッドに横になりますが、そのベッドがたいてい旅人の身体のサイズとはあいません。旅人は寝ている間に殺されてしまうのですが、旅人の身体のサイズがベッドより大きければ、ベッドからはみ出した部分を切られてしまいます。また、ベッドより小さければ、ベッドのサイズに合わせて引き伸ばされてしまいます。結局、殺されてしまうのですが、このお話は何を言おうとしているのかと言いますと、自分の認識の枠組みに合わせて法を狭めて理解する人、あるいは自分の考え方にないものは、すべて切って捨ててしまう人のことを、例え話で言われているのではないかと思います。

心の法則も愛の大河と同じで、逆らって生きていくことはできません。人格をもった者によって法則を変えることはできません。
愛の大河があるという心の法則性は、自分にとって適用されないと考えたとき、堕ちていくことになるのでしょう。

菩薩や如来になっていく道は、非常に厳しい茨の道であると思います。マザーテレサは、質素に暮らしていたと思いますが、「苦しんでいる人達と同じ境遇を経験しなければ、恵まれないものの苦しみや悲しみがわからなくなる」と言われていたと記憶しています。菩薩は非常に苦難、困難な人生を体験するといわれていますが、そのような体験を通して多くの人達の気持ちが、自分の事としてわかるようになるのでしょう。
真理を理解し、多くの人の気持ちがわかるようになって初めて菩薩としての人生を生きていくことが可能になってくるのでしょう。
ですから、上から目線で話し自分は○○の神々の一人であると言っているような人は、光の天使どころか、かなり危険な状態にある人だと思います。

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posted by ガンちゃん at 23:59 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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