2014年01月19日

霊現象の正邪は法に基づいて判断すべきでは

霊現象の正邪は法に基づいて判断すべきでは

物質と霊的存在は、存在形式が違うように表面的には見えますが、お互い相互作用する関係にあります。
心(霊的存在)で思うことは、顔の表情として表現されます。この場合、心は霊的な存在であり、表情として現れた顔は物質的な存在であるといえます。両者は存在形式としては違う性質を持ちますが、物質と霊は関係し、相互に影響を与えていると考えることができます。

ところが、心で感じることや考えることが顔の表情として表れなければ、相手が心で思っていること、感じていることを推測できません。
霊、あるいは魂は人間という形に表されないかぎり観察することができません。
地中の種子も地上の樹木とならないかぎり見ることができません。
霊的存在は通常、視覚的に確認することはできません。ですから、霊言という形式で自分に降ろされてきたとしても、その霊人の目的や意図を見抜くことは、相当な認識力の高さが要求されるのではないかと思います。
では、降ろされてきた霊言の正邪を見分ける判断基準とは何であるのか、それは法に基づいて判断する以外にないのではないかと思います。
身近に導師がいればその都度、確認することもできるかもしれませんが、通常は自分一人で対処するしかありません。
その時に大事なのが、普段から真理の書籍を読みこんでいることでしょう。真理をどこまで深く理解できているかによって、より仏に近い判断ができるようになってくるのではないかと考えます。

降りて来る霊言が正しいものかどうかは、法に基づいて判断する以外にありません。もし、学びが不十分で人間的にも未熟であれば、そのような人が霊言を正しく判断できるわけがありません。
嘘をついても恥を知らない人間は、真理を学ぶ以前に人間としての根本的な部分が欠落しているので、霊言に対して意見を述べる資格などないのではないかと思います。

スウェデンボルグは「霊が人間に与える影響のなかで、人々に一番わかりにくく、もっとも影響として大きいのは、彼ら(霊)が人間の考えに影響を与え、その考えを支配するという現象である。これは、もっとも重要な問題である。だが、これがもっとも気づかれにくい」と述べています。

自惚れが強くすぐに慢心してしまう人は、上記でスウェイデンボルグが述べているように、簡単に悪霊の類に騙され、操り人形にされてしまうのではないでしょうか。

何が正しいのかわからなくなってきたら、原点に戻って冷静に法に照らして判断するべきだと考えます。



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posted by ガンちゃん at 23:48 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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