人間とは本来、霊的存在ではあります。地上に生まれかわることで肉体という、ぬいぐるみを着ることになり、本来もっている霊的な力の10〜20%ぐらいしか能力的に使えなくなります。
しかし、高度な霊的能力のある人は、その霊的能力をはずしてみても人間的に立派であり、発言力や文書に書いた内容など、非常に人間を高みに向かって成長させる言葉で満ちあふれています。
例えば総裁先生以外では、近年ではルドルフ・シュタイナーがいます。著者の『自由の哲学』を読むと非常に高度な内容で、霊的世界に裏打ちされながらも、人間の理性に訴えかけてくる優れた内容であると自分は思います。
また、日本では、源信が霊的世界を描写した、『往生要集』中央公論社には、霊的世界に触れながらも、理論的、段階的に仏教の教えを論じられています。
また空海の秘密曼陀羅十住心論には、人間精神の内奥に隠された霊的秘密を十段階にわけて説かれています。
また、天台大師智の摩詞止観にしても霊的能力をはずしてみても非常に哲学的で理性的な感じをうけます。摩詞止観を読んでみたもののよく理解できませんでしたが、総裁先生の仏教シリーズと照らし合わせて何とか少しぐらいは理解できたでしょうか。
つまり霊的能力がありながらもその姿には、自分を偉く見せよとか、自分にはこんな特殊能力があるから他の人とは全然違うのだとかいう思いなどは論外で、みじんも見えません。
スゥーデンボルグにしてもこの世的にも優れた能力、実績がありながらも、霊的にも優れた能力、実績があります。
真実の霊能力は、悟りと関係があり、それは人間的にも非常にすばらしい人たちであると思います。
霊的な能力が開花することは、万に一つのことではあると思いますが、地上における、努力精進と真理知識の吸収や謙虚な気持ち、他人に対しての思いやり等を忘れ、自分は特別な人間で他の人にくらべて偉いなどと慢心すると、いつしか自分が操り人形になり下がってしまうかもしれません。
霊的能力が自分の人格を向上させる為の、一つの体験、経験になれば素晴らしいことであると思います。
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