言論の自由とは大切なものです。私自身それを否定するものではありません。
本来言論の自由とはどのようなものでしょうか。
特定の宗教を信じることによって迫害を受けないために、言論の自由があります。
プロテスタントという宗派がありますが、過去に圧倒的な権力によって人々の良心が抑圧されたとき、一人ひとりの信仰をもつ信仰者達が己れの良心に基づいて講義をしました。
それが、マルティン・ルターをはじめとして起きた宗教改革であったと思います。
そして、その流れがヨーロッパやアメリカへと流れていき、近代民主主義政治の基礎をきづいたのだと思います。
個人が直接的あるいは間接的にも一定の権力によって抑圧をうけることが無いように、個人の思想・信条・意見などを公に発表できる自由。言論の自由とは、このような考えが基礎にあるのだと思います。
言論の自由があるからこそ、日本にいながらにして、世界の宗教思想や哲学を学ぶことができるのです。
ソクラテスより以前のギリシャ哲学には、ミレトスのタレスという哲学者がいます。すべては水から生じて、水にもどっていくと彼は考えていたようです。ある時タレスは天空を観測するのに夢中になって、空の方を見て歩いていたばっかりに、足もとにあった井戸に落ちてしまったそうです。これを見たトラキア人の奴隷女が「あなたさまは、熱心に天のことを知ろうとなさいますが、御自分の目の前のことや、足もとのことにはお気づきにならないのですね」と言って笑ったとのことです。このように、周りのことに気がつかないほど熱心に、ものごとを知ろうとするタレスの態度こそ、ほんとうに知識を愛する者の態度だ、とプラトンは述べています。
また、ピタゴラスという方がいます。この方は存在するすべての原理を、数学の原理の中に求めました。数学の原理の基礎は数なので、万物の原理も「数」だと考えました。数は存在するものに秩序を与え、宇宙の調和を与えるものと考えていたようです。また、魂と肉体の関係や生まれ変わり(転生輪廻)についても深い考えを持っていたようです。
また有名な哲学者では、ヘラクレイトスがいます。「人は同じ川に二度はいることはできない」と言われた方で、「万物は流転する」という言葉が有名だと思います。彼は存在するものは「生成」という運動をしていると考えました。生成とは、何かが生まれ、成長し、変化しながら滅び去ってしまいますが、再び生まれ変わってくるという生成の循環をあらわしています。
仏教的世界観に近い考えであると思えます。
さらにソクラテスは「汝自身を知れ」という言葉が有名です。つまり、自分の無知を自覚している人の方が、自覚していない人よりは知恵があるのでだと考えられた方だと思います。
プラトンの哲学の中心的な考え方は、「イデア論」であると思います。この地上において美しいもの、良いものを見たとしても、それはすべてイデアの模像(影)にすぎないという思想です。
この世にあるすべてのものはイデアの模像であり、その元型にあたるのがイデアであるという考えだと思います。
このようにギリシャ哲学を簡単に書きましたが、言論の自由があればこそ、その時代に自分が悟った内容を当時の人々や、後の世に伝えることができます。
逆に、言論の自由を規制されると、人々は知識を学ぶ機会がなく、物事の価値判断ができない状態におかれることになります。
情報を開示しない国及び政府は、国民を洗脳し、不幸にしてしまいます。
中国や北朝鮮の国民に正しい情報を提供し、判断材料を与え、善悪の価値判断ができるようになれば、良いなと思っています。
旧ソ連のように情報が開示されることによって、国自体が崩壊する可能性もあります。
言論の自由や思想の力について、何となく考えていたので本日、思ったことをまとめてみました。
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